古物商を後にした四人は、少し遅めの昼食をとるため手近な店へと入った。
 どうやら新しく出来たばかりの店らしく、壁紙や調度品なども新品同然だ。店内では吟遊詩人が楽を奏でており、家族連れや若いカップルが楽しそうに食事をしている。
 入り口近くの空いた席に座ると、一行はマントを脱ぎ、椅子の背に掛け腰を下ろす。ただ、コーディだけは、店内を素早く見渡し何かを確認してから、安心したようにマントを脱いだ。
「あっちーっ!」
 マントを脱いだコーディの顔は暑さのせいで赤くなっている。彼はパタパタと手で顔を扇ぎながら、ドサッと椅子にもたれかかった。
「あんな格好してるからだよ〜」
 テーブルに置かれたメニュー表を眺めながら、アサナが呆れた声で言う。
「……あ、オレ、それがいい」
 アサナの声には反応せず、コーディは彼女がちょうど指差していたメニューに反応する。アサナはそんな彼の態度にも気を悪くした様子もなく、了解と頷いた。
 全員のメニューが決まると、毎度のこと人一倍食べるアサナがテキパキとウェイトレスに注文をしていった。その間にマーは手帳を取り出して、何かを書き込んだり、ペラペラとページをめくっては考え込んだりしている。
 コーディはのぼせた顔を上に向け、相変わらず手で扇いでいたが、顔を戻した拍子に彼をじっと見つめるルーアと目があってしまう。
「な、何?」
 彼女の瞳の真剣さに、コーディは思わずたじろぐ。ルーアはハッと我にかえって、
「い、いえ!何でもないんです!」
 と、慌てて俯いた。
 ルーアの頭は、コーディと狼がどうやったらつながるのかでいっぱいだった。
 狼なら自分も知っている。犬科の獣だ。山や森で野宿するときは魔物の他に野生の獣に襲われないように、注意を払わなければならない。火を焚いていれば大抵襲ってはこないのだが、たまに準魔物化した物が襲いかかってくることもある。幸い、高レベルになってからは聖水をまいたりトヘロスの呪文を唱えておけば、夜中にふいに襲われることはなくなったが。
 しかし、目の前にいるコーディとその狼とが結びつかない。
 俯いた顔を少し上げて上目遣いに彼を見れば、先ほどの様子が気になってか、心配そうな表情で彼女を見つめている。ルーアは自分の心の内を悟られないように、コーディににっこりと微笑んだ。そんな彼女の笑みにコーディも優しい微笑みを返す。心から相手を愛しんでいる、そんな笑みだ。
(コーディさんが狼だなんて……)
 オルフェは何を言いたかったのだろう?
 そういえば以前、マーに『男は皆、狼なのよ!優しいふりしてても凶暴な獣を飼っているんだから、気をつけなきゃ駄目よ!』と言われたことがある。あの時は意味が分からなかったが多少年齢を重ねた今なら----ルーアの頬がぽぅっと赤く染まった。
「ルーア、これからのことなんだけど……大丈夫?顔が赤いわよ?ルーアものぼせた?」
「ううん!何でもない!」
 ルーアは恥かしそうに慌てて両手を左右に振って否定した。
(何を考えてるの!?私ったら……コーディさんがそんな人のはずないじゃない!うん!)
 一人納得して、うんうんと俯くルーア。
 マーはそんなルーアを訝しげに見ていたが、気を取り直して再度ルーアに話しかける。
「えーと、これからのことなんだけど、レスターとか言う店主が戻ってくるまで、どうする?」
 マーは手帳のカレンダーを見せながら続ける。
「アッサラームで待っていても良いけれど、他へ情報収集に行くって手もあるわね。一週間って言うとけっこうあるし……ルーラで移動すれば、移動時間は無視して色々な所に行けるから、ここでひたすら待ってもすることもないし」
 言いながらマーは、ルーアとコーディ、二人の様子を伺った。この二人はアッサラームに来てからどうも様子がおかしい。このままここに長逗留していても、二人にとってもパーティの雰囲気にとっても、あまり良いものではないだろう。理由を問いただすにしても、問題のあるこの街では話さないに違いない。
「私もここに長くいるよりも、他の街で色々と情報収集したほうがいいと思うわ」
「オレも賛成〜。ここ、暑くて嫌だ」
 案の定二人とも、直ぐに賛成の意を示した。アサナも特に反対意見も無いらしく、
「それでいいよ〜…」
 と、壁に貼られた料理のポスターを眺めなら、上の空の返事を言う。
「じゃあ、決まりね。
 どこか行きたい所とかある?」
「はーい!アサナはもう一回オルフェの所に行って、海賊さんたちに情報を聞いたら良いと思います!」
 ポスター群を見終わったアサナが、手を上げながら元気に発言した。
「そうね……その筋で何か良い情報屋を他にも知らないか、聞いてみるのも手よね」
「私も、オルフェの所にもう一度行くのは、賛成だわ」
 コーディさんと狼の関係について、詳しく聞きたいし……ルーアは、深く頷きながら同意する。コーディも異論無しと手を軽く振った。
「じゃ、ご飯食べたら、とった宿をキャンセルして、オルフェのところに行きましょう」
 マーが、パタンっと手帳を閉じるのと同時に、
「お待たせいたしました」
 と、ウェイトレスが料理を運んで来た。
 次々にテーブルに並べられる料理に、アサナの瞳がキラキラと輝いていく。
「いただきます」
 美味しい料理に舌鼓を打ちつつ、4人は他愛の無い会話をしながら、食事を進めて行く。街で見かけた服のこと、以前来たとき美味しかった物の話など、ときたま笑い声を上げながら、和やかに時間は流れていった。
 やがて、アサナのデザート群を残す他は飲み物のみになった時、店の入り口近くにザワっと小さなざわめきが起こった。4人も思わず、そちらに目を向ける。入り口近くの席には、大柄な女性が一人座っている。華やかな赤いドレス、髪は肩の辺りで編んであり、髪留めに大きなガラスの細工がついており、その細工が反射する光が、時折店の天井に光の波を浮かせていた。女性は大勢の視線を集めていても、さして気にした様子も無く、鼻歌交じりにメニューを眺めている。
 旅先で色々な人を見てきた3人は、とくに見入ることも無く、会話に戻っていったが、コーディただ一人が、彼女を食い入るように見つめていた。
「コーディさん……?どうかしましたか……?」
 いつまでも女性を見つめている、コーディを不審に思い、ルーアが恐る恐る声をかけた。
「な、何でもない!」
 首をブンブンと振りながら、否定する様は、とても『何でもない』様子ではなかった。顔からは血の気が引き、テーブルに置かれた手も心なしか震えている。
「オ、オレ、用事を----」
 言いながら、マントを掴み着ようとするが、指が震えて上手く留め具が止められない。もたもたしているうちに、マントの裾がテーブルのグラスに当たり、床に落ちた。素焼きのグラスがけたたましい音を立てて割れる。その音で、店中の視線は女性からコーディへと変わっていた。もちろん、あの大柄の女性もコーディを見つめている。
 と、
「コーディっ!!???」
 女性が突然、悲鳴のような声で彼の名を呼び、椅子が倒れるほどの勢いで立ち上がるとこちらに駆け寄ってきた!
「コーディぃぃぃいいぃぃっっ!!!」
 瞳を潤ませ、両手を広げて駆け寄る乙女チックな様は----大柄なだけあって、見ていてちょっと怖い。
「ギョル…ガ……や……め………」
 彼女に抱きしめられながら、コーディはかろうじて拒否の声を出したが、興奮している彼女には聞こえていない。
「ああ!コーディ、また会えるなんて!!
 どうして、どうしてあの時、私を置いていったの!?
 ねぇ!どうして!!?」
 抱きしめたまま、コーディをブンブンと振り回しながら、彼女は感極まった声を上げる。
「死……死ぬ……」
 あまりの出来事に、呆然と眺めていた女性人は、コーディの声に我に返り、慌てて止めに入った。
「それ以上絞めたら、コーディ君、死んじゃうよ〜!」
「ちょっと、いきなり何なんですか?」
「あ、あの、コーディさんを話してください」
「ああ!ゴメンなさいね」
 女性も我に返り、コーディを解き放った。コーディはゴホゴホとしばらく咳き込むと、ガッとマントと荷物を手に取り、
「オレ、急用を思い出した!悪いけど、先に店出るわ!後で合流するから!!」
 と、早口で言い捨てると、止めるまもなく店を出て行ってしまった。
 残された一同は、呆然と彼の出て行った後の店の扉を見つめ、
「え、えーと……」
 どうしたものかと、お互いに目を合わせ苦笑した。

「ごめんなさいねぇ、驚かせてしまって。
 あんまりにも久しぶりだったから、つい興奮しちゃって……
 あら?自己紹介がまだだったわね!私はルビーよ、よろしくね!」
 大柄な女性----ルビーは朗らかに言うと、一同に手を差し出した。
 アッサラームのメイン通り、一行は注目され居辛くなってしまった先の店を後にして、ルビーの行きつけの店に移動するところだ。風のようにコーディが去った後、残された4人は互いの関係を話し合うため、落ち着いた所へ行こうということになった。とにかく、ルビーがコーディが今どうしているのか知りたがったのだ。
 ルーアが代表として、握手を受け、微笑みながら、
「ルーアです。こちらこそ、よろしくお願いします」
「マーよ。よろしく」
「アサナだよ!よろしくね!」
 それぞれ簡単に自己紹介をする。
「ふふ、みんな、可愛いわねぇ。
 あ!ここよ!」
 右手に見えた店を示し、ルビーは中へ入って行く。店の中は、昔ながらのアッサラーム風で剥き出しの土壁に、所々タイルで化粧が施されている。昼飯時から少しずれているせいか、店内に人はまばらだった。店中央の大きな花瓶に花が飾られた席にルビーは座ると、店員に向かって、
「いつものやつ4つ頂戴」
 と、気軽に頼んだ。
「ここの香茶が良い香りなのよ」
 程なくして運ばれてきた香茶の香りを楽しみながら、ハスキーな声でルビーが言った。
 3人も同じようにして、香茶の香りをかぐ。甘いがすっきりとした爽やかな香りに、心が和む。
「さてと、今、コーディが何をしてるのか教えていただけるかしら?」
「コーディさんは、私たちと一緒に旅をしてるんです。一ヵ月半ほど前にアリアハンのルイーダの酒場で知り合って、契約してから色々とお世話になってます」
「まぁ!コーディったら、アリアハンに行けたのね!
 私と別れる数日前から『アリアハンへ……』ってうわ言のように言ってたから……そう、良かった。
 ところで、旅って観光かしら?ルイーダの酒場って、傭兵ギルドでしょ?あの子、何か職に就いてるの?」
「えーと……ほとんど観光のようなものですが、宝探しをしているんです。そのために盗賊の力が必要で、ルイーダに行ったらたまたまコーディさんと出会って」
「え!?じゃあ、あの子盗賊なの?うんうん、納得できるわ。あの子、手先が器用だし、すばしっこいし」
「ええ、とても助かっています」
「そう、上手くやっているようね。安心したわ」
 ルビーは満足そうに頷くと、運ばれてきたお菓子を一つつまんだ。
「次は私の番ね。コーディと私はね、一年位前に一緒に暮らしていたのよ。二ヶ月くらいの間だったかしら……。あの子が私の小屋の前に傷だらけで倒れていてね。私が介抱したの。初めはこっちから質問しても口を聞かなくて、徐々に必要なことだけ話すようになって、最後は少しだけ話してくれるようになって……それが、ある日突然、居なくなったの。『世話になった』って書置きだけを残して。アッサラームの街を隅々まで探したんだけど、どこにも居なくてねぇ……でも、アリアハンに行ったんなら、居ないはずよね」
 遠くを見つめるような目で、懐かしそうに話すルビーを見て、ルーアたちにも彼女がどれだけコーディを心配していたかが伝わった。彼女は、ふっとルーアたちを見ると、艶やかに微笑んだ。
「ありがとうね。あの子が、前のようにギラギラしていないのは、きっとあなた達のおかげなのね」
「そ、そんな」
 ルーアの頬がポッと赤くなった。自分が少しでもコーディの役に立ったのなら、これ以上嬉しいことは無い。
 ルビーはそんな彼女の様子を見て、微笑ましく思った。ああ、この子はコーディに恋をしているのねと。この優しそうな子たちと一緒なら、私では癒せなかった彼の傷も、癒すことが出来るだろうと。
「あの……コーディ、昔、何があったんですか?」
 マーが少し硬い声で聞いた。傷だらけで倒れていた----魔物にやられただけなら、良いのだが。
「それがねぇ……私にも分からないのよ。私が見つけたときは、着の身着のままって感じで、何か素性の判るものは何も無かったし……傷も、刃物で切られたというよりも、魔物の爪痕みたいだったから、たぶん、休んでいるところを魔物にやられたんだと思うわ。見つけたのは明け方だったし、真夜中にいきなり襲撃されたんじゃないかしら」
「そうですか……」
 ルビーの言葉に、マーはホッと短くため息をついた。いつの間にか、コーディが不審な者であって欲しくないという強い思いが、彼女の中に芽生えていたのだ。ルーアが悲しむという理由だけではなく、仲間として心配する思いが、マーの心にあった。
「さてと、今日は逃げられちゃったけど、もし時間があるのなら、コーディも連れて明日、私の家にいらっしゃいな」
「わーい!アサナ行きたい!」
 このお店の菓子はいたくアサナのお気に召したようで、アサナはご機嫌で答える。
「ええ、是非いらして。えーと……ここよ」
 バッグの中から名詞のようなものを取り出して、ルーアに渡す。名詞に描かれた地図は、アッサラームの街の北、森の中を示していた。
「私はきこりをやってるの。街にはよく来るのだけど、普段は森で仕事をしてるわ」
 ルビーは、苦笑しながら言う。
 と、
「おう!ギョルガ!来てやがったのか!」
 威勢の良い野太い声が、店の中に響き渡った。声のした方を見ると、筋肉質の身体に、袖の無い短いシャツを着込んだ、土方風の男が立っていた。男は親しげにルビーを見つめ、歩み寄ってくる。
「最近見ねぇから心配してたんだぜ!なぁ、また仲間と一緒に飲み明かそうや!ギョルガの丸太砕きを皆楽しみにしてるんだぜ!」
「その名前で呼ぶなって、言ってあるだろうが!」
 素早く男の首に腕を回して締め上げながら、、まるで野盗の首領が部下に脅しを聞かせるような、ドスのきいた低い声で、ルビーが言い放った。
「ス、スミマセン!ルビー姐さん!」
「分かればいいのよぉ」
 首に回された腕から解放されて、男はほうほうの体で店から出て行った。今のやり取りを呆然と見ていた、ルーアたちに気がつくとルビーは、
「あら?はしたないとこ見せて、ごめんなさいねぇ」
 再びしなを作りながら、艶やかなハスキーボイスに戻って、にこやかに微笑んだ。