第七話 欲望の街



 アッサラームの街は以前とは違う活気に満ち溢れていた。行き交う人々の表情は晴れやかで、所々で響く呼び込みも健全だ。
 魔王討伐の旅の途中訪れたこの街は、華やかな活気を見せながらもどこか陰惨めいて人々の表情も捻たような感じだった。
「随分と雰囲気が変わったわね」
 マーが大通りから路地裏を覗き見て、感心したように言った。
 以前は貧民窟が広がり、いかがわしい店が軒を連ねていた路地裏も、綺麗に整備され、清潔な長家になっていた。
「そうね、前はちょっと怖くて歩きにくかったものね……」
 言ってルーアも安堵のため息をつく。
「コーディくん、そんなに目深に被ると暑くない〜?」
 アサナがコーディの目深に被られたフードの先を引き上げて、コーディに言う。
 4人はアッサラームの街に来てから、いつもの毛織り物のマントではなく、麻のマントを身に付けていた。いつものマントでは、内に熱がこもり過ぎて、直ぐに熱射病になってしまう。4人とも同じマントを羽織り、フードを被っているのだが、コーディはフードを目が隠れるほどに目深に被り、襟元を鼻まで引き上げ、ほとんど顔が見えない状態だ。
「暑くないよ。日に焼けるの嫌だから」
 引き上げられたフードを再び目深に引き下げながら、コーディが答えた。
「日焼けねー……ま、確かにわたし達みたいな色が薄い人種には、この日差しはきついわよね」
 言ってマーが太陽を見上げる。
 同じ太陽のはずなのに、どうしてこうも強く暑いのだろう……
「ルーアちゃんのフードも深めだよね〜。
 あ!分かった!ルーアちゃんみたいにコーディくんも有名人だから、人に顔見られたくないんだ!何したの〜?」
「アサナ!」
 ニヤニヤとイタズラっぽい笑みを浮かべて、コーディのフードを覗きこんだアサナをルーアが鋭く叱責した。アサナだけでなく、マーも驚きルーアを見る。
「ご、ごめんなさい。でも、そんなこと言ったら失礼でしょう?」
 二人に見つめられ、ルーアは気まずい表情で慌てて言い繕う。
「そうだね。ごめんね、コーディくん」
 しょんぼりした様子のアサナに、ルーアはちくんと胸が痛くなった。自分だけの秘密。コーディさんは私が知っていることを知らない。
 ルーアは昨晩オルフェに言われたことを、仲間には話さなかった。せっかく打ち解けた4人の関係を壊したくなかったのだ。いや、それよりも本心はコーディを疑ってしまった自分を隠したかったのかもしれない。アサナの言葉を聞いたとき、他の誰にも分からないほどのほんの少しコーディが動揺したのを、ルーアは見逃さなかった。恋した人の一挙手一投足を彼女は見逃さない。知らず知らずのうちに、彼女の視線は彼を捉えている。今、アサナを慰めながらも内心ホッとしている表情の変化にも、彼女は気付いている。
「ルーア?どうかしたの?アッサラームに来てからちょっと神経質になってるわよ」
 難しい顔をしてコーディを見ているルーアを心配そうにマーが覗き込む。
 ルーアは慌ててにっこりと微笑むと、
「何でもない。とりあえず、オルフェに紹介状を書いて貰った所に行ってみよう」
「え、ええ……」
 ルーアは道具袋からメモを取り出すと、路地の隅にある案内板を見に行ってしまう。その態度にどこか余所余所しさを感じて、マーの胸に一抹の不安がよぎった。
「アサ……」
 アサナに相談しかけて、マーは止めた。
 アサナの頭をコーディがよしよしと撫でている。アサナとコーディは、ルーアとコーディよりも仲が良い。まるで兄と妹のようだ。彼に恋している身からしてみれば、見ているのは辛いのかもしれない。マーはルーアの態度をアサナに対する嫉妬に戸惑う様子だと判断して、このことは自分の胸の内に秘めておくことに決めた。もちろん、二人に他意があるわけはない。しかし、ルーアが嫉妬していたと知れば、罪悪感が湧くだろう。せっかく良い雰囲気になったパーティの関係を崩したくは無い。
 マーは二人には声をかけずに、ルーアの元へと駆け寄った。


 オルフェに教えられた店は、老舗が軒を連ねている路地の一角にあった。
 店の半分は古物商、もう半分は茶店を兼ねているという、この土地ならではの造りになっている。古物等を扱う商いは商談が長くなる。客と長く語りあえるようにと、アッサラームの街には茶店と道具屋を併設してる店が多い。客との商談は商人にとっての戦いだ。茶店ではどちらが儲けるか、技を尽くした会話がせめぎ合う。しかし昨今では、こういう商談に美徳を求めるのを嫌い、簡単に儲けようと「私はあなたの友達です!」などと言って、相手を陥れる詐欺紛いな手口も行われている。魔王討伐後はこのような輩も、老舗の旦那集を中心に組織された商人組合によって制裁されていっているようだが。
 古いが趣のある扉をくぐり、ルーア達は店の中に入る。
 店内は様々な古物で彩られていた。ざっくばらんに置いてあるようだが、散らかっている様には感じられない。むしろ、宝物庫や隠し部屋に迷い込んだワクワク感がある。アサナなど早速あたりの物を覗き込み、瞳をキラキラと輝かせているのだった。
 店内や茶店を見渡しても誰も見当たらない。ルーアはカウンターに置いてあった呼び鈴を鳴らした。

  リーーンッ………

 店の中に澄んだ鈴の音が響き渡る。
「……誰も来ないわね」
 しばし待ち、マーがカウンターから身を乗り出し、奥の部屋を覗き見ようとしながら言う。

  リーーンッ リーーンッ

 今度は少し乱暴にマーが鈴を鳴らす。が、相変わらず反応は無い。
「出直しましょうか?」
 マーがそう口にした時、

  バタン!  ガチャガチャ  ドン!  ガラガラガラ……

 と、奥から賑やかな音が聞こえてきた。それに続いて「あーあ……」と呟く悲しそうな男の声と溜め息が聞こえてくる。
 一行は顔を見合わせ、微妙な笑みを浮かべる。そこに店の奥から男が飛び出してきた。
「お、お待たせいたしました!何か御用ですか?」
 満面の笑みで言う男。男の頭には布がくちゃくちゃに巻きつけられている。中心からだいぶそれた場所に宝石飾りが付いた留め具があるところを見ると、ターバンのつもりなのかもしれない。手には先ほど壊したであろう物が握られていた。
「あ、あの〜……お客様?」
「あ、ああ、ごめんなさい」
 しばらく男の身なりを呆然と見ていたマーが慌てて取り繕った笑みを浮かべる。
「私達、秘宝の情報が欲しくてこのお店に来たんです」
 と、道具袋から出したオルフェの紹介状を男に差し出しながら、ルーアが言った。
「は、はぁ……」
 男はぎこちない手つきで封蝋を解き、中の手紙を読み始める。そうは長い手紙ではないのだが、一字一字をじっくりと読んでいるのか男が手紙を読み終わるまで、しばしの時間が必要だった。男は手紙を読み終わると、クルクルと丸めてルーアに渡す。
「あの……」
「お話は分かりました」
「じゃあ!教えていただけるんですね!」
「ダメです」
「え?」
 男の言葉に、ルーアたちは耳を疑った。しかし男はそんなルーア達を気にも留めないで、カウンターの横にあるカレンダーを指差した。
「ほら、あのカレンダーに印が付いているでしょう?丸が付いてて矢印がビーッと引っ張ってある。あれは店主が仕入れの旅行に行っている時期なんですよ」
 確かに、カレンダーには丸と矢印が描いてある。丸の付いているのは昨日の日付だ。
「ってことは、店主は昨日から留守ってこと?じゃあ、あなたは何者なの?」
 マーが男に詰め寄る。男はマーに睨みつけられ、ドギマギと手に持っていた道具をカウンターの上に取り落とした。
「ぼ、僕は留守番です。み、見習いなんです」
「なるほど」
 一同、納得顔で頷くと同時にこの男が店主でなくて良かったと安堵の笑みが浮かんだ。
「店主のレスターさんは、昨日から仕入れ旅行なんです。どこに行ったかも僕は知らないんですよ!出発もキメラの翼で帰りもキメラの翼で帰ってくるから……すみません」
 男は泣きそうになりながら言い、床に落ちた道具を拾い上げる。
「留守じゃしょうがないわね。キメラの翼で行ってるんじゃ、探すことも出来ないし……帰ってくる一週間後に出直しましょ」
 ルーアを振り返り、マーは肩をすくめた。ルーアもしょうがないねと苦笑する。
 店を出ようとするとアサナがついて来ない。見るとカウンターに肘を突き、男が道具を修理するのを面白そうに観察していた。
「アサナ、帰るわよ」
「うん。ちょっと待って……お兄さん、これオーブでしょう?」
「オーブ!?」
 アサナの言葉に、マーとルーアが驚きカウンターに駆け寄った。
 カウンターに置かれた物は確かにオーブの形をしていた。が、それは木で出来ており、木彫りの細工物のようだ。
「お譲ちゃん、良く知ってるね〜。これは伝説のオーブを模した物なんだって。レスターさんが昔、ネクロゴンドのとある村を訪れたときに偶然オーブを見たらしいんだ。その時に模写させてもらった物らしいよ」
「へー!スゴイねー!」
 男はアサナの言葉に嬉しそうにニヤニヤと笑っている。
 男の持つオーブの木彫りは玉と台座が分離してしまっているが、確かに精巧なオーブの模型だった。ルーアたちが不死鳥ラーミアを蘇らせるために集めた伝説の宝玉と寸分違わぬ模型----伝説の宝玉の正確な模写物まで取り扱う人物。これはかなり情報に期待できそうだ。ルーアとマーは顔を見合わせると、満足そうに頷きあった。
「アサナ、帰るわよ!」
「はーい!じゃあ、お兄さん、またねー!」
「レスターさんが帰ってきたら、お譲ちゃんたちの事伝えておくよ!」
「ありがとう!」
 最後ににアサナが店を出るとき、
「これ、どうしよう……」
カウンターの中から途方に暮れた悲しそうな声が聞こえた。