夢中でコーディのことを語り、ふと時計を見ると既に深夜を回っていた。いつの間にか遠くから微かに聞こえていた宴の歓声も聞こえなくなっている。
「もうこんな時間!遅くまでごめんなさい。そろそろ私、部屋に行くわね」
 ルーアは慌てて席を立った。
「何もそんなに慌てなくても……」
「マーに話が終わったら、直ぐに部屋に行くって言ってあるの。きっと寝ないで待ってるわ」
「そうか、悪いことをしたな」
「ううん。私が楽しくてお喋りしすぎちゃったから」
 ルーアは苦笑しながら、傍らにおいてあった紹介状を掴み、部屋の出口へと向かう。
「オルフェ、おやすみなさい。また明日ね」
「ああ、おやすみ……」
 言ってルーアの後姿を見送るオルフェの脳裏に、彼女に告げなければならない光景が再び浮かび上がった。
「ルーア、待ってくれ!」
 急ぎルーアの後を追い、彼女の腕を掴む。ルーアは驚き、オルフェを見つめた。
「オ、オルフェ?どうしたの?」
「コーディは----」
「コーディさんがどうかしたの?」
 コーディの名前を聞き、ほんの少し喜びが浮かんだ目に、オルフェは次の句を告げずにいた。
「オルフェ?」
「いや、何でもない……」
 言って、掴んでいたルーアの手を離そうとしたが、思いとどまり、再び先ほどよりも強い力で握り締める。そして、痛みを堪えるかのような辛そうな表情で、オルフェは言葉を振り絞るように、
「一つだけ----一つだけ、覚えておいてくれ」
「何?」
 オルフェのただならぬ様子に、ルーアも真剣な面持ちで問う。
「もしも、『狼』という言葉を聞いたら……気をつけて」
 真摯な瞳でルーアに伝える。
「『おおかみ』……?」
 ルーアは突然の言葉に意味も分からず、言われたことを繰り返した。
「そう、『狼』。もしも彼のことをそう呼ぶ奴がいたら、気をつけて」
 ルーアは、静かに頷いた。
 オルフェは彼女が頷くのを見届けると、掴んでいた彼女の手を放し、就寝の挨拶を交わし部屋から送り出した。扉が閉まると、セバス老人が彼女に向かい深々と礼をし、部屋の中へと入っていく。ルーアは客室へと足を進めた。
 「何故?」とはルーアは聞かなかった。オルフェは今までも自分達に有益な様々な情報を教えてくれた。今のこの言葉も、きっと重要なことに違いない。理由を言わないのは、オルフェなりの配慮に違いない。
 理由、コーディさんが狼と言われる理由----それは、私の知らないコーディさんの過去と関係があるのだろうか?
 仲間になったのは、ほんの一ヶ月前、それ以前の彼の情報はない。彼も自分の過去のことについては一切触れない。自分は今のコーディを信じているのだからそれで良いと思っていた。しかし、もし、彼の過去を知らないばかりに仲間達が危険な目にあったら?ルーアはの足が扉の前で止まった。
 私は----
「ルーア?何してるの?」
 ルーアはハッとして顔を上げた。扉を開け、マーがルーアを見ていた。
 ルーアの話が長引いていることを心配して、マーは寝ずにルーアの帰りを待っていた。やっと戻ってきたらしい気配がしたのに、いつまでも部屋に入ってこないので、心配になり出てきたのだった。
「あ、ただいま」
「おかえり……どうしたの?顔色が悪いわよ?大丈夫?」
 暗闇のせいだけではない顔色の悪さに、マーは心配そうに親友の顔を覗き込む。
「大丈夫。何でもないの。
 ほら!オルフェ、こんなきちんとした紹介状を書いてくれたのよ」
「へ〜。凄いわね。これがあれば情報収集は困らなさそうね」
「うん」
 言いながら微笑むルーアの表情はやはり晴れやかなものではない。
 マーが不安を口にするより早く、ルーアは自分の荷物から着替えを取り出し、ドアに手をかける。
「私、お風呂に行って来るね。マーは先に寝てて」
「あ……うん。分かった」
「じゃあ、おやすみなさい」
  パタン
 扉を閉めると、ルーアは一つため息をついた。何故か、オルフェに言われた言葉を、マーに教えるのには抵抗があった。胸の奥がもやもやする。
 ルーアは砦の中庭に出ると、池の縁に座り、水面を見つめた。池の水は澄んでいて、黄金に輝く月を見事に写している。
 金色の月。コーディさんの瞳と同じ……
「ルーア?」
 突然の声に、ルーアは驚き振り返った。
「ルーア、こんな所で何してるんだ?いくら焚き火の残りが暖かいからって風邪引くぞ?」
「コーディさん……」
 コーディは優しく微笑むと、ルーアの隣に腰を下ろした。
 ルーアはコーディの顔を見れないでいた。頭の中では先ほどのオルフェの言葉が犇いている。彼女の口が自然に動いて、彼の過去を尋ねようとした瞬間、
「……ありがとな」
「え?」
 コーディがポツリとこぼした言葉に、ルーアは思わず、彼の顔を見た。彼は月を見ていた。
「オレさ、こんな風に楽しい酒飲んだの、初めてだ。ルーアたちと出会ってなかったら、こんなことも無かったんだろうなって思ってさ」
「そんな……お礼を言うようなことじゃないです」
「いや、ホント、感謝してる。きっとルーアに出会えてなかったら、オレ、変われなかったと思う」
 水面に写る月を見つめながらコーディは続ける。
「お前達は----ルーアはさ、自分で思っているよりももっと、人を助けてると思う。
 信じる気持ちを貫き通せるって、すごいと思うよ」
 言って、コーディはルーアを見て照れくさそうに、はにかんだ笑みを浮かべた。
 ルーアは居た堪れない気持ちになって、うつむいた。先ほどまでの自分が恥かしくなって、情けなくなって涙がこぼれそうだった。
「オレも、ルーアを……ルーアたちを信じてるよ。おやすみ」
 コーディはうつむいたままのルーアの髪を優しくくしゃっと撫で、彼女の元を後にした。
 ルーア、止め処も無く溢れる涙を止められずにいた。
 彼を裏切るようなことをしなくて、本当に良かった。彼の過去がどんな酷いものであろうと、私だけは今の彼を、私のことを信じてくれているコーディさんのことを信じ続けよう。
 ルーアは水面に写る、あの暖かく優しい光を湛えた瞳と同じ色をした月を見つめながら、自身の胸に誓ったのだった----



第六話  END