サマンオサ大陸に着くと、ラーミアを人気の無い森に隠し、ルーア達は海賊の砦へと徒歩で向かった。
 空は薄っすらと紫がかっている。久々にラーミアの上から見た夕日は、壮大で美しかった。日が完全に沈むまで後数分だ。砦に着く頃には、夜も深まっているだろう。
 星々の明かりが夕日の名残に勝る頃、地平線に人の営みの明かりが見えた。
「ほら、あそこが海賊の砦だよ。
 良かった〜!オルフェ、帰ってきてるみたいだ。オルフェが居る時しかあんなに明るく無いんだよ」
 アサナがコーディに明かりを示し、ニッコリと笑う。
 一行は少し足を速め、海賊の砦へと急いだ。砦の明かりが近くなると、アサナなど駆け足で入り口へと走っていく。ルーアとマーも、アサナの後を駆け足で追った。やや遅れてコーディがその後に続く。
 海賊の砦の門を護る屈強な男は、駆けてくる少女達に気がつくと、扉を開け中へと何やら大声で叫んでいる。そのうちに、砦の中から屈強な海賊達がぞろぞろと出てきた。普段はいかめしいであろうその顔には、朗らかな笑いが満ちている。皆、勇者一行の訪問を心から歓迎しているのだ。
 と、男達の群れが綺麗に左右に分かれた。その間を見目麗しい麗人が歩いてくる。麗人は、アサナを認めると、大きく手を振った。
「オルフェーっ!!久しぶりー!!!
 みんなも元気ーっ!?」
 アサナも喜び大きく手を振り、一つ大きく飛び跳ね応える。残る二人も麗人に向かい手を振る。
 アサナの声が聞こえたのか、海賊達から「うおーっ!」と歓声があがった。
 アサナは駆けていくそのままにオルフェに抱きつくと、にっこりと微笑む。オルフェもアサナの頭を優しく撫でてやっている。ルーアとマーもオルフェに久方の再会を喜ぶ挨拶を交わす。
 コーディは、そんな少女達から少し離れて、紹介されるのを待っていた。
「オルフェ、紹介するわね。こちら、盗賊のコーディさん。新しくパーティに入ったの」
 ルーアが彼の隣に立ち、手で軽く示して紹介をする。
 身体にべっとりと張り付いたアサナを優しく離し、オルフェはコーディの方に歩み寄り、
「初めまして。オルフェです」
 利き手を差し出し握手を求める。コーディは差し出された手を礼儀正しく握り返し、
「コーディです。初めまして」
 瞳を見つめ、挨拶を返した。二人は互いに少し微笑み、同じタイミングで手を離す。
 オルフェは海賊達に向い手を掲げ、
「皆、宴の準備だ!今宵は鍋の底まで食らおうぞ!!」
「うおぉぉおおぉぉおおぉぉっっっ!!!」
 スミレ色の空に、男達の歓声が響き渡った。


「あのね、アサナね、珍しいお菓子の作り方覚えたんだよ〜!」
「そうか、今度是非作ってくれ」
「うん!」
 アサナはもうオルフェにべったりで、とろけそうな笑顔で夢中で話している。オルフェは優しい笑みを浮かべそんな彼女の一言一句を聞き逃さず、相槌を打っていた。
「アサナは相変わらずね……オルフェ大好き病」
 声こそは呆れた感が含まれているが、言うマーの顔には微笑が浮かんでいた。
「ふふ。そうだね。ここに来ると毎回いっぱいご馳走してもらえるもんね」
 受けるルーアの顔も温かい笑いが浮かんでいる。
 二人はアサナ達から離れた、池を挟んでちょうど向かい側に座っていた。コーディは居ない。
「コーディさん、大丈夫かしら?」
 さして心配もしていなさそうな様子で、ルーアが奥の部屋を顧みた。マーもつられてそちらを見ると、奥の部屋からどっと笑い声が上がった。
「大丈夫でしょ。あいつ、ザルだし」
 初めての男の仲間として紹介された彼は、海賊達のお姫様たちに相応しい仲間かテストされていた。テスト----酒比べである。1対多数である。誰もが彼が根を上げると思っていたのだが……
「もう終わりかー?」
 手に持たされた酒樽を空にしておいてケロリとした顔でコーディが言った。海賊達は皆、うんざりとした顔でコーディを見上げていた。酒比べに挑んで、この場で起きている者はコーディただ一人。他のものは皆、地面に伏していた。
「兄ちゃん、強いな〜!」
 こっそりとコーディに賭けていた海賊の一人が、嬉しそうに彼の肩に手を回した。
「いや〜、オレ、潰れないんだよね〜。身に危険が迫るからさ〜」
 コーディはへらへらと笑っている。よく見ると、薄っすらと頬が赤い。
「兄ちゃん、酔ってんのか?……まあ、これだけ飲みゃあなぁ……」
 言って辺りを見渡す男の目に、酒樽十数個が入る。コーディは、この三分の一は飲んでいるはずだ。酔わないはずが無い。
「ま、酒比べは終わりだ!ここからは楽しく飲むとしようぜ!」
「お〜!」
 コーディは持っていた樽を掲げて、ホニャッと笑った。
 奥に引っ込んでいた男達が宴に出てくると、宴は一層に盛り上がった。
 オルフェは傍らで満腹になり眠ってしまったアサナに上着を掛け、自分の代わりにクッションをあてがうと、皆を労う為に席を立った。男達一人一人に、声を掛けていく。
「頭領、あの男スゲーですぜ!奥の部屋見やしたか?」
「ああ」
 奥の部屋に転がっていた酒樽と、ダウンして床にのびきった男達を思い出し、オルフェは苦笑する。男はしばらく、少し離れた場所で仲間と酒を飲むコーディをにこやかに見ていたが、ふと、戸惑った表情を浮かべた。
「どうした?」
 部下の変化にオルフェは敏感に反応する。
「へい……あのですね、あの男、どこかで見たような気がするんですよ。どこかは思い出せねぇんですが」
 コーディを見ながら首を捻る男につられて、オルフェも彼を見た。
「どこかで見た?いったいどこで、彼には初めて……!」
 コーディを見ていたオルフェの顔にしばし、何かを思い出すかのような微妙な表情が現れ、やがて、ハッとしたように彼の姿を食い入るように見つめ始める。
「どうかしたんですかい?頭領?やっぱり、どこかで会ってたんですかい!?」
 興味津々で訊ねる部下に、オルフェはいつもの柔和ともいえる冷静な態度で、
「いや、やはり彼とは今宵が初めてだ。お前も勘違いで要らぬ世話を焼くなよ」
「頭領がそうおっしゃるなら間違いねぇ。やっぱり、オレの勘違いでやんした」
「気にするな。宴を楽しめ」
 オルフェは部下の肩を軽く叩く。男は嬉しそうに酒を持ち、仲間の輪に戻っていった。
 皆が楽しんでいるのを確かめた後、オルフェは自室へと一人戻って行く。その表情は何か思い悩んでいるようだった。彼女が部屋に着くと、その入り口に一人の男が立っていた。
「お嬢様……」
「爺、何も言うな」
 爺と呼ばれた男は、黙って扉を開けた。彼、セバスは海賊の中でも一番の年寄りだった。前々頭領、オルフェの祖父の片腕だった男だ。祖父に命を助けられたとかいうことで、それ以来、オルフェの一族に命を捧げている。彼女の父も彼女自身も幼い頃から、この男に育てられたようなものだった。
 オルフェは部屋に入ると、頭領用に特注された大きな執務机の豪勢な椅子に、ドカッと腰を下ろした。天井を見つめ、しばらくじっと動かずにいる。やがておもむろに執務机に向き直り、両手を組んでそこに額を付け、
「……狼……か………」
 小さく呟くと、深くため息をついた。
 オルフェの脳裏にアッサラームの街の陰鬱な豪館の情景が浮かび上がっていた。顔をマスクで隠した金持ちの面々、そして、部屋の中央に----そこまでいき、オルフェは唐突に目を見開いた。
「爺!」
 彼女の呼び声に、扉が開き、セバス老人が滑り込んできた。
「爺、覚えているか?アッサラームの……あの店、どうなった?」
「経営者が摘発されて、今はもう、廃屋になったと聞いておりますが」
「そうか……」
「お嬢様、あの若者はやはり」
「ああ、狼だと思う。昔とあまりに雰囲気が違ったので分からなかったが……」
「勇者様方には?」
「私が言う。爺、すまないが彼女達を……いや、ルーアだけを呼んできてくれるか?」
「かしこまりました」
 セバスが部屋から出て行くと、オルフェは再び組んだ両手に額をつけ、深々とため息をついた。


 ルーアはマーと談笑しながら、海賊達の隠し芸を見ていた。ナイフで妙技を見せる者、細い棒の上で皿を回す者、各々の芸が終わるとやんややんやの喝采が起こる。
「ルーア様」
 背後から呼ばれ振り返ると、セバス老人が畏まって立っている。
「頭領がお呼びです。お手数ですが、お部屋までお越しいただけますか?」
「あ、はい」
 ルーアは返事をすると、手に持っていたグラスを机に置き、マーを見た。
「行ってくるね。ついでにアッサラームのことも話してみる」
「ええ、任せるわ。わたしはアレを片付けるから」
 言ってマーはついっと顎でアサナを示した。アサナは焚き火の側でスヤスヤと気持ちよさそうに眠っている。
「ほっといても風邪はひかないと思うけど、一応ね。
 コーディの方はまだ盛り上がってるみたいだから、ほっといても大丈夫でしょ」
「ええ。私もオルフェと話が終わったら、そのまま部屋に向かうわ」
「じゃ、後でね」
 マーはひらひらと手を振ると、アサナの方へ向かって行く。
 二人の会話が終わり、ルーアがこちらを振り向くのを待って、セバス老人は
「では参りましょう」
 言い、先立って歩き始める。ルーアはその後を付いて歩いていく。
 老人の物腰は柔らかで、とても海賊とは思えない。しかし、一件普通に歩いているようだが、周りの海賊達は二人が歩いていてもこちらを見てくるものは居ない。周りの注意を引かないように足音を立てず、気配も隠している。ルーアもセバスに習い、周囲の注意をかわないように歩いた。頭領の部屋の前に着くと、セバスはルーアの方を振り向いた。
「しばしお待ちください」
 コンコンとセバスはドアを小さくノックした。中からオルフェの受ける声がすると老人は扉を開け、
「ルーア様、お入りくださいませ」
 中に入るようルーアを促した。
 ルーアは、老人に丁寧に礼をすると、部屋の中に入る。扉を閉めるセバスを何とはなしに見ながら、ひょっとしたらこの老人は、過去にどこかの貴族のお屋敷で働いていたのかもしれないなどとうっすらと考えていた。
「ルーア、呼びつけて悪かったな」
 オルフェは執務机を離れルーアの元へくると、共に奥の私室へ入り、応接のソファへとルーアを座らせ自身もその前へ腰掛けた。
「オルフェ、話って何?」
 わざわざこんなに人気のない所を選んでの話だ、ただ事ではないだろう。先ほどドアを閉めるとき、オルフェがセバス老に向かい目配せで人払いを頼んだのも視界の隅に入っていた。ルーアはやや緊張した面持ちで訊ねる。
「--------」
 オルフェは口を開き何かを言いかけたが、言葉を発せず、そのまま再び口を閉じてしまった。迷っているのだ、言うべきか言わざるべきか……
「……いや、わざわざお前達がここまでやってきたのだ、ただ遊びに来たわけではないだろう?アサナの話じゃどうやら不死鳥に乗ってやって来たようだし、ただ事じゃないと思ってね」
 先ほど自分が思い出したことをいきなり話すのはやめ、オルフェは彼女らの目的について問うた。ルーアは、何だという風に緊張を解き、和やかに話し始める。
「驚かせたようでごめんなさい。先に連絡すればよかったわね。別にそんなスゴイ用じゃないの。せっかく自由に時間が使えるようになったから、宝探しに行こうってことになって、手がかりもなしに始めるのも何だから、アッサラームの闇市で情報を仕入れようと思って。オルフェに紹介状か何かを書いて貰えればって、ここに来たの」
「そうだったのか、分かった。喜んで書かせてもらおう。ちょっと待ってくれ」
 オルフェは席を立つと執務机から羊皮紙を取り出し、ペンでそこに何事かを書くと、最後にオルフェであることを示す銀の認印を押した。簡単に丸め、麻紐で結び、さらにその上から銀のロウ印を施す。
「これを、アッサラーム劇場のオーナーに見せれば、闇市のどこに行っても話が通るだろう」
「ありがとう」
 ルーアは微笑みながら紹介状を受け取る。オルフェは再びルーアの前に座ると、ルーアの顔を見つめた。色違いの左右の目が優しくオルフェを見つめ返している。オルフェは意を決して、ルーアに話を切り出した。
「ルーア、仲間のコーディのことだか----」
「良い人でしょう?」
 オルフェが続きを紡ぐ前に、ルーアがニコニコと切り替えした。ニコニコと誇らしげに微笑むルーアに、オルフェは頷かざるを得ない。
「ほん一ヶ月ほど前に仲間になったばかりなの。でも、とても良い人なんだよ。初めの頃はマーと喧嘩したりして、ちょっと心配だったんだけど……最近、マーやアサナとも打ち解けて仲良くやってくれるし、一緒に旅してるととても楽しいの。何よりも、私たちのことを特別扱いしないから……」
 楽しそうに話すルーアを見て、オルフェは直ぐに彼女がコーディに恋をしているらしいことに気付いた。こんな風に他人のことを話す彼女をオルフェは見たことが無かった。オルフェの知っているルーアは、毅然として凛々しく、荒くれ海賊どもの頭領をしている自分でさえ気圧されてしまうほどの何かを纏っていた。だが、今、目の前で話しているルーアは、あの頃の気迫も気負いも無く、普通の少女と何らかわりが無い。そんな様子が微笑ましく、オルフェは思わず声にして言ってしまった。
「ルーア、彼が好きなんだな」
 ルーアは一瞬驚いてオルフェを見つめたが、
「……うん」
 小さな声でそう答えると、その頬が次第に朱に染まっていき、最後は耳まで赤くなり、やがてルーアは恥かしさのあまり顔を覆ってしまった。その様子がなんとも言えず可愛らしい。
 オルフェは微笑み、ルーアを見つめると、優しい声でルーアに話の続きを促す。ルーアは普段、誰にも告げられないコーディへの想いをぽつりぽつりと恥かしそうに語っていった。