マーは、崖を向いて立っていた。二人には、マーの背中しか見えない。
 よく見ると彼女の背中は、細かく震えているようだった。
「……マー……?」
 ルーアは恐る恐る彼女の背中に声をかける。
「………」
 返事は無い。ただ、ほんの少しだけビクッと身体が反応しただけだ。
 ルーアは困ってアサナを見る。アサナはルーアよりも一歩手前に出ると、
「マーちゃん、ちゃんと話さないとルーアちゃん困っちゃうよ」
 アサナが優しく諭すように言う。
 マーはその言葉に返事をせずに、地面にペタンと座り込んでしまった。
 アサナに促されて、ルーアとアサナ二人で彼女を挟んで横に座った。
「………」
 誰も何も話さない。ただ崖の下で波が砕ける音だけがあたりに響いている。空は、天上高くまで青く澄み渡り、白い雲の輝きとのコントラストが美しい。柔らかな風に雲がゆっくりと流れていく様は、幼い頃見たあの景色と何も変わらない----
「……マー、覚えてる?あの日のこと」
 ルーアが流れる雲を見ながら、つぶやいた。瞳は雲を見ていたが、彼女の心は遠い昔、仲間達が初めて出会ったあの日の空を見つめている。
 あの日も、よく晴れた優しい日だった。



「おじいちゃん!ほら、こっちこっち!!キレイなお花がいっぱいだよ!」
 幼いルーアは、両の手を激しく振りながら、祖父を呼んでいる。
 生まれて初めて城壁の外に出たのだ。はしゃいでも無理は無い。父オルテガが旅立って早1年。塞ぎ込みがちなルーアを見かねて、祖父が彼女を南の岬へとピクニックに連れ出したのだ。引退したとはいえ、元は勇者、英雄といわれた戦士である。近辺に出る魔物に遅れをとることは無い。彼は、小さな孫の久方に見た笑顔を見て、ニッコリと笑った。
「これこれ、あんまり走るでないぞ!転んだらどうする!」
「大丈夫〜っ!」
 ルーアは危なげな足取りで走ってゆく。
 久しぶりのお出かけだ。父が旅立ってからは母も祖父も忙しく、なかなかルーアと遊ぶ時間が取れなかった。寂しかったが言ってはいけないと自分で自分を押し殺していたのだ。久しぶりに祖父が遊んでくれ、しかも城壁の外にピクニックに連れて行ってくれるのだ、こんなに楽しいことは無い。
「おじいちゃー……」
 祖父を呼びかけて、ルーアはふと変な気配に気づいた。周りを見渡しても、特にこれといって怪しげなものは見つからない。ルーアは小さな首をかしげて、もう一度祖父を呼ぼうとした。
 が----
「〜〜〜〜〜っ!」
 彼女が声を上げるより早く、岬の崖の方から小さく甲高い悲鳴が上がったのだった!
 ルーアは祖父を見た。祖父は悲鳴に気づいた様子はなく、ゆったりと遠くの方を歩いてた。見通しの良い草原だ。敵の姿は直ぐに分かる。辺りには何も居ない。再び岬の方を見る、上り坂になっており坂の上に何があるかは分からない……一瞬躊躇してからルーアは駆け出した。
「やめてぇ〜!こっち来ないでぇ〜!うわ〜んっ!!」
「アサナ、泣いちゃダメなのっ!ほら、もっとこっち来て!」
「マー…もう後ろが無いよ…」
 3人の少女が、岬の突端に追い詰められていた。彼女達をプヨプヨとしたスライム4匹が囲んでいる。少女達は怯え、小さな身体はがくがくと震えている。
 幸いなことに、スライムたちは少女達に夢中でルーアの登場に気づいていない。
 青く透き通る海のような、流れる水のような髪を持つ少女は、泣きすぎて目だけでなく顔中を真っ赤にしている。お漏らしもしてしまったのか、スカートもぐっしょりと濡れていた。
「マ、マーちゃぁん……アサナたちここでしんじゃうの?」
「ば、ばか言わないの!!大丈夫よ!わたしが何とかするから!!」
 亜麻色の髪をおかっぱにした少女が、手にした木の枝をスライムに向けて振り上げる。しかしスライムたちは馬鹿にしたように身体をプルプルと震わせるだけ。
「……!」
 少女のうちの一人と、ルーアの目が合った。紫色の髪を短くした少女はルーアを真剣に見ていた。ルーアは彼女に良く見えるように、腰に携えた祖父が護身用に持たせてくれたひのきの棒をゆっくりと引き抜いた。少女はそれを見ると、隣のおかっぱの子から木の枝をゆっくりと、スライムを刺激しないように取る。おかっぱの少女は緊張と恐怖のあまり、枝を取られたことには気づいていないようだ。枝を持ったときの格好のままガクガクと震えている。ショートカットの少女は、ルーアに見えるように枝を構えた。
 ルーアと彼女は再び見つめあい、互いにうなずくと一気にスライムへと突進して行った!
「「やーーーっ!!!」」
 少女の突然の抵抗と、後ろからの突然の叫びにスライムたちは驚き、防御出来なかった。前後から、彼女達の会心の一撃をもろに喰らった1匹が、ぷにょんの音を立てて崩れ去る。
 仲間の一匹が倒されたのを見て、頭に血が上ったスライムたちは、ついに少女達に襲い掛かった!だが、時既に遅し。ルーアの祖父が孫の叫びに駆けつけ、剣を抜き放つと、スライムたちの身体はぷにょん!と同時に音を立てて崩れ去った。
「あ……あ……」
 緊張が解けたのか、おかっぱとロングヘアの少女はへなへなとしゃがみこんでしまった。
 ルーアとショートカットの少女はニッコリと微笑を交わす。
「ルーア、大丈夫じゃったか?」
 祖父はルーアにホイミをかけてやる。暖かい癒しの光に包まれながら、ルーアは安堵の微笑を浮かべ、
「うん」
 と、元気よくうなづいた。
「この子達は?」
「知らない……悲鳴が聞こえたの。だから、急いで来たんだよ!」
「これからは、そういうことがあったらまずおじいちゃんに言うんだよ」
「はい!」
 ルーアは再び元気よく返事をすると、少女達に駆け寄った。
「大丈夫?」
 ショートカットの少女は頷き、他の二人を顧みた。
「だ、大丈夫よ!」
 おかっぱの子は勢いよく立ち上がるとパンパンとスカートに付いた汚れを乱暴に払い落とした。彼女のルーアたちを見つめる目は猜疑心に満ちている。それでも、一応言って置く事は言って置かなければと、
「ありがとう」
 と、ボソッとつぶやいた。
「どういたしまして!」
 彼女の無礼な態度など意にも介さずに、ルーアはニコニコと答える。
「マジン〜…マーちゃぁん…いたいよ〜!!」
 突然、残る一人がわっと泣き出した。見るとしゃがんだ彼女の膝が少し擦り剥け、血が滲んでいた。しゃがんだ拍子に擦ったらしい。
 ルーアの祖父は彼女のそばにしゃがむと、ホイミの呪文を唱える。彼女は癒しの光にきょとんとしながら自分の足を見ていた。みるみる傷が癒えていく!彼女は驚きと喜びで瞳を大きく輝かせ、その光景に見入っていた。
「ねえ、どこから来たの?アリアハン?お父さんとお母さんは?子供だけで来たの??」
 ルーアは少女達に質問をする。
「……どこから来たのかはわからないわ!親もいない!わたしたちだけよ!」
 おかっぱの少女はヒステリックに叫んだ。
「だいたい、助けて欲しいなんてたのんでないわ。わたしたちだけで何とかなったもの!
 た、ただ、わたしは……ず、ずのうはなだけで、た、戦うのは苦手なのよ!
 だから、ちょっと時間がかかっていただけで……!!」
「じゃあ、あなたは魔法使いなのね!すごい!」
「へ?あ、ああそうよ!わたし、まほうつかいに成る途中なの!」
「スゴイねー!」
 ルーアの純真な反応に拍子抜けしたのか、おかっぱの少女は少し警戒を解いたようだ。
 5人はそのまま一緒にお昼ご飯を食べることにした。少女達はそれぞれ、
「アサナです!」(ロングヘア)
「マーよ」(おかっぱ)
「マジンっていうんだ」(ショートヘア)
 と名乗った。
「わたし、ルーア!よろしくね!」
 お腹もいっぱいになり、景色を見、少し話したところで、少女達の緊張は完全に解けたようだった。アサナは濡らしてしまった下着と服を、ルーアの予備----母が万が一汚してしまったときのために持たせたもの----に着替え、すっかりご機嫌になっている。ルーアの祖父にさっきの魔法は何なのかしきりに質問していた。マジンは、無口であまり話さず、ルーアの持っていたひのきの棒を借りて、熱心に眺めていた。マーはというと……
「もともと、わたしは戦いなんてやばんなことキライなのよ。やはり、物事をかいけつするのはれいせいなりろんだと思うわ」
「へー」
 ルーア相手にうんちくをたれているのだった。
 少女達は、花輪を作ったり、お喋りしたり、鬼ごっこしたりと時間が経つのを忘れて、遊びまわった。やがて、ルーアたちが帰り支度を始めると。少女達は、戸惑った様子を見せる。
「どうしたの?みんな、お家に帰らないの?」
「………」
 3人は押し黙って、下を向いたっきり、誰も顔を上げない。
「??どうしたの?」
「…うわ〜んっ!!!」
 突然、アサナが火のついたように泣き出した。
 アサナを見て、マーが重い口を開いた。
「……わたしたち……逃げてきたの。どれいしょうにんから」
「どれいしょうにん?ってなに??」
 ルーアの問いを遮り、祖父が優しく少女に話の続きを促す。
「む、村が、魔物に襲われて……おとうさんも、おかあさんも死んじゃって……タンスの奥にかくれていたら、人が来て……もうだいじょうぶだって……でも、オリみたいのに入れられて……その人たち、焼けた村から宝物をいっぱいとってきてて……」
「火事場荒らしじゃな」
 マーはうなづくとそのまま続ける。止まらない。抱えていたものを出してしまいたいのだ。
「へんなところに連れて行かれて……『まだ、商品にならないから』って、今日からここで働くんだって……そこで、アサナとマジンに会ったの」
 二人とも、コクンとうなづく。
「いろんなところを旅した気がする……でも、ごはんも、全然食べさせてもらえなくて……毎日、苦しくて辛くて……いうことを聞かないと叩かれたりして……このままじゃ、死んじゃうと思って、昨日の夜、逃げ出したの……」
 祖父は大きくうなづき、少女達の頭を優しく撫でてやった。少女達は堪えていた悲しみが一気に押し寄せ、皆、声を上げて泣き出した。
 奴隷商人がいるとは聞いていたが、まさか、このアリアハンにまでやってきているとは……国王陛下に直ぐにお知らせせねば。祖父は少女達の小さな頭を撫でながら考えていた。それにしても、こんなに幼い子供たちにまで手を出すとは!魔王が現れて以来、世界は少しずつ狂って行っている----
「みんな、ルーアのお家においでよ!」
 ルーアの声に少女達は彼女を見つめた。
「みんな、ルーアのお家で一緒に暮らそうよ!楽しいよ!きっと!
 ね、おじいちゃん!」
「ああ。そうじゃの」
 とにかく、この子達を保護せねば。祖父はルーアの提案を快く受け入れた。ルーアの頭に手を置き、ニッコリと微笑む。小さいながら人を慈しむ優しさを持つ孫の心が嬉しい。
「いいの?いいの?わーい!」
「……本当にいいんですか?」
「ありがとう」
 少女達は、各々の表し方で喜びと感謝を示す。
「これから、よろしくね!」
 ルーアの差し出した手を少女達はしっかりと握り締める。ルーアも、彼女達の手を握り返す。硬く、手を握り合った少女達の頭上には、どこまでも青く純真に澄み渡る空が広がっていた。



 あの日から、私たちはどれだけの時を一緒に過ごしてきたのだろう?ルーアは様々な思い出を胸に、優しく微笑んだ。こんなに大好きな友達と出会えて、神に感謝せずにはいられない。
「あの日、マーやアサナ、マジンに出会えて本当に良かった」
「ルーア……」
「これからどんなことがあっても、皆は友達だし、いつまでもずっと友達で居て欲しいって思ってるの。図々しいかな?」
 マーの顔を覗き込んで、ルーアは訊ねる。マーは慌てて首を横に振ると、グイッと涙をぬぐって勢いよく立ち上がった。
「なーに言ってるのよ!わたしたちはどんなことがあっても、ずっと親友、マブダチ。ううん、そんなのもう通り越して家族よ!家族!」
「マー……」
 ルーアはいつもの調子に戻ったマーを見上げる。
「だ・か・ら!例えルーアが結婚したって、全然変わらないんだからね!安心して恋しなさい!!分かった!?」
「マ、マーっ!」
 ニカッと笑うマーの笑みにルーアは顔を赤くして慌てた。恋だ何て!恋だなんて……まさか……!私、私、コーディさんに……??
 ルーアは突然気づかされた自分の未知の感情に、戸惑い動揺していた。
 だが、言われてみて初めて気づいた。これは恋なのだと。これが恋なのだと。
「わ、私……」
「この歳になって初恋だ何て、ルーアらしいわよねー」
 マーは、ルーアの赤くなったり青くなったりする顔を見つめながら、微笑んだ。
 大丈夫。何も変わりはしない。例え、恋人という特別な存在が出来たとしても、ルーアは変わらない。わたしたちは、ずっと親友でいられる!うん!大丈夫!!
 先ほどまでの不安がまったく消えてしまったわけではないが、マーの心は親友への信頼の思いでいっぱいだった。築き上げてきたものが違う。年月が違う。例え、男が入ってこようと、わたしたちの関係は変わらない。コーディ、あんたは一生、わたしたちには敵わないのよ。
「さ、あのバカの待っているとこにでも行きましょうか?」
「あはは。バカって言ったらコーディ君、可哀想だよー☆
 コーディ君だって、いっぱい心配してたんだから」
「ま、ありがた迷惑よね」
「マーってば……もう!」
 3人は、アリアハンの城下町に向かって歩き始める。やがて、門を抜け、ルイーダの酒場が近づいてくると、
「ささ!ルーアは先に行った行った!」
 マーはルーアの背中をグイグイ押して、先に店の中へ入れてしまった。
 店の入り口に、マーとアサナの二人が残る。
「し、心配かけて、悪かったわ」
「うん。大丈夫。アサナはずっとマーちゃんと一緒にいるから。ね!」
 言うと、アサナはマーの顔を自分の胸にムギュッと抱きしめた。
「あああああアサナ!何するのよ!むぐ」
「いいから、いいから♪」
 マーの頭を撫でるアサナの瞳には、晴れ渡った青空が映し出されていた。



第五話  END