第五話 親友
暗闇の平原に、焚き火の炎が暖かく揺らめいている。
ルーアとコーディを先に寝かせ、マーとアサナは野営の焚き火を囲んでいた。
二人は何も語らず、ただ静かに焚き火の炎を見つめている。あたりは静かだ。ルーアたちの寝息と、時折薪の爆ぜる音が聞こえるのみ。炎越しにアサナをちらっと見て、マーはすぐに焚き火へと視線を移した。
わざわざ二人で野営をすると言い出したのは、昼間のルーアのことをアサナと話し合おうと思ったのだ。だが、タイミングがつかめない。自分が食事の用意をしている間中、アサナはコーディと何かを話していたようだが、アサナからは何も言ってこない。コーディと和やかに話していた様子を思い出すと、何故かマーはアサナに何を話していたのか聞けなくなるのだった。胸の辺りがもやもやする。別にこれといった理由は無いが、何かが引っかかり話せない----
マーは膝にあごを乗せると、軽くため息をついた。
「マーちゃん?大丈夫?疲れた?」
アサナの声に顔を上げる。アサナの綺麗な褐色の瞳が心配そうに自分を見つめていた。そんな彼女の顔を見ているうちにマーの内のもやもやは薄れていった。
「ねぇ、アサナ……ルーア、何があったんだと思う?」
「うん?そうだね……心配しなくても、大丈夫だと思うよ。ただ、恥ずかしがってるだけなんだと思う。あのね、コーディ君から聞いたんだけど----」
アサナは、食事の前にコーディから聞いた昨夜の出来事をマーに簡単に説明をする。
「…………………」
一通り聞き終えると、マーは無言で立ち上がり、静かに呪文を唱え始める。アサナが慌てて彼女の口を押さえた。
「抑えて、抑えて。何も無かったんだから。ね?」
アサナの手を振り解くと、マーは高く上がりそうな声を抑えながら、
「何かあったら、生かしておかないわ!!」
と、低く鋭くつぶやいた。
「ルーアに手を出したら、殺してやる」
「マーちゃん……」
「わたしたちのルーアに手を出したりしたら、この世のものとは思えない苦痛と屈辱を与えてから、魂も消し飛ぶほど粉々に微塵に消し飛ばしてやるわ!!」
マーは憎しみを込めた目でコーディの寝袋を睨みつける。
アサナは無意識にマーのマントの端をしっかりと握っていた。手を離していたら、今にも本当にコーディを殺しかねない。マーの全身から、怒りと憎しみが噴出していた。
二人は、長い間、そのままの姿勢で立っていた。どちらも動かず、語らず、ただ、静かに佇んでいる。
ぱちっ
焚き火の中で、アサナが入れた焼き芋の弾ける音がし、あたりに芋の焼けた良い香りが漂った。それが鍵となって、二人の緊張が次第に緩んでいくた。マーは再び、焚き火のそばに戻ると腰を下ろし膝を抱え、焚き火の炎に視線を落とした。アサナは、焼けた芋を炎の中から救出している。しばらく二人は、そうして焚き火を囲んでいたが、頃合を見計らい、、アサナはマーにおもむろに話しかけた。
「ねぇ、マーちゃん。もう、大丈夫だよ。ルーアちゃんは、さ」
アサナのそのセリフに、マーがキッと目を吊り上げ、顔を上げる。
「何が大丈夫なのよ?」
「マーちゃんも、ルーアちゃんの気持ち、分かってるんでしょう?」
マーはそれには答えずに、ただ、下を向いた。
アサナは、夕方コーディに向けた以上に優しい微笑み浮かべ、諭すような慰めるような優しい声色で、続ける。
「ルーアちゃん、コーディ君のこと、好き、なんだよね。きっと。
だって、ルーアちゃんが、あんなふうに人と接するの初めて見たもん。いつでも堂々と勇者らしさを失わずに他人と接するルーアちゃんが、あんなに取り乱して知らない人と話すことなんて、初めてだもんね。それに大丈夫。コーディ君、いい人だよ。きっと、ルーアちゃんを受け入れてくれると----」
「もし、ダメだったら?」
下を向いたまま、マーが言った。その表情は、アサナからは見えない。
ただ、抑揚の無い感情を押し殺した声が聞こえるのみである。
「もし、他の人と同じで、ルーアを『勇者』か『異形』としてしか見ていなかったら?ルーアの力が羨ましくて、何よりも怖くて、彼女を侮辱するようなセリフばかり吐く、あのギルドの男連中と同じだったら?傷付くのはルーアよ。わたしは、もう、ルーアの……傷付いた姿なんか……見たく……ない……」
最後の方は、嗚咽で、ほとんど聞き取れなかった。
今はもう、顔を上げているマーの瞳は歪み、頬は溢れる涙で止め処なく濡れていた。
いつもの冷静な、パーティの頭脳である彼女は、もはやどこにもなく、ただ、親友を思う一人の少女がそこに居るのみだった。
「また、話さなく、なったら……どうするの?もう、やだよ。あんなの……っ!」
アサナは、焚き火の向かい側に回ると、泣きじゃくるマーの座っている背を後からそっと抱きしめた。
「大丈夫。ルーアちゃんは、そんなふうにはならないよ。
……それに、マーちゃんだって、本当は分かっているんでしょう?コーディ君は今までの男連中とは違うって……彼は、初めからルーアを『勇者』とも、『異形』とも思っていなかったじゃない。彼は、ただ、ルーアちゃんを『女の子』としてしか、見ていなかったでしょう?勇者だって分かってからだって、初めはちょっと驚いたみたいだけど、変わらず接してるじゃない。信じてあげようよ。二人を」
「……………」
マーは何も言わず、自分の胸に回されたアサナの腕に、顔をうずめる。そして、小さく、小さくうなずいた。
アサナはにっこりと笑い、マーの頭に自分の頬を付ける。
「大丈夫だよ。だって、私たちがついてるもの……ルーアちゃんを不幸になんか絶対させない」
「そう……よね……!ルーアを、泣かしたら、ぶっ飛ばしてやるわ……!」
「その意気だよ!さ、顔を洗って、今日はもう寝よう?朝起きて、目が腫れてたら、ルーアちゃん、心配するよ」
マーはくすりと笑い、手布をもって、小川へと歩いていった。
アサナはマーの背中を見送ると、冷めてちょうど良い暖かさになった焼き芋の皮を、そっとめくりながら空を仰いだ。
空には、満天の星。
明日も、良い天気になりそうだ。
アサナは、暖かく微笑むと、焼き芋を頬張った。
「お、おは……おはよう……」
ガチャンッ!
コーディは思わず手にしていたカップを落としてしまった。
野営をした翌日、あの自分のことを目の敵にし、今までただの一度も自分に対して非難や皮肉以外の言葉を口にしなかったマーが、ものすごく嫌そうではあるが自分に対して朝の挨拶をしてきたのである。
唖然とする彼の前では、マーが、未だ拭いきれていない挑戦的な感と照れくささが混ざったような複雑な表情で彼を見ている。
「おは……よう……」
コーディは動揺しつつも何とか返事を返した。マーは返事を受けるとさっさと朝食に向かってしまった。
「おはよ!コーディ君」
ポンッとアサナがコーディの肩をたたく。
「あ、おはよう……」
「今日もいい天気だね〜。うん、良い日だ。良い日だ」
アサナはニコニコと笑いながら、朝食へと向かっていった。
(何だってんだ?いったい……)
突然の友好表現に面を食らいつつ、コーディも朝食の場へと向かう。
小さな焚き火の中で、木の枝に刺した川魚が焼かれていた。今朝の朝食当番はルーアだ。彼女は先に居た二人に保存が利くパンを手渡している。彼が近づいていくとほんの少し微笑んで、彼にパンを渡した。次第に辺りに魚の焼ける美味しそうな匂いが漂い始めると、四人はそれぞれ魚の串を取って食べ始める。塩と香草を軽くまぶしただけのものだが、魚そのものの旨味と相まってとても美味だ。
「さてと!おっいし〜朝ご飯も済んだことだし、出発の準備をしましょうか!
コーディ君、手伝ってよね!」
「ああ」
アサナはコーディを連れ、野営の後を片付けに行った。残されたマーとルーアは、焚き火の後始末を始める。ルーアは機嫌が良いらしく、小さく鼻歌を歌いながら袋の中に調味料をしまっている。
「あのね……ルーア……」
マーの呼びかけで、ルーアは鼻歌を途切れさせ彼女の方を向いた。ルーアの色違いの綺麗な瞳が、マーのダークチェリーの瞳と交わった。マーは一瞬、ルーアの瞳と見つめあいすぐに視線をそらした。ルーアはマーの仕草にきょとんとしながらも、彼女が何か言い出すのをじっと待っていた。しばらくの間、焚き火跡を見つめ、言おうかどうしようか迷っていたが、やがて意を決しマーは口を開いた。
「……ねぇ、ルーア。ルーアは……ルーアは、コーディのことが好きなの?」
マーの言葉に、ルーアの頬がさっと赤くなった。
返事を聞くまでもない。彼女の心はこんなにも素直に気持ちを告げているのだから。
「わ、私……分からないの……」
ルーアは恥ずかしそうに顔を抑えた。彼女の顔は耳まで朱に染まっている。
「コーディさんといると、ドキドキするの……でも、どうしてなのか分からなくて……こんな、こんな気持ち……初めて、なの。
ねぇ、マー、何だと思う?」
マーは答えられなかった。こんな彼女は見たことがなかった。マーはまるでルーアが遠くへ行ってしまった様な、自分とは違う世界の人になってしまったような寂寥感に苛まれていた。別にルーアが悪いわけではない。まして、コーディが悪いわけでもない。分かっているのだ。だが、この気持ちをぶつけられる所がどこにも無いのが、より一層、彼女の思いに拍車をかける。
「マー?どうしたの?顔色が悪いわよ?マー?」
心配そうに見つめるルーアが、最後の堰を破ってしまった。マーは耐えられず、瞳から涙が溢れるとその場を走り出した。
「マーっ!?」
(ルーアはこんなにも優しいのに、こんなにも思ってくれているのに、でも、ルーアにとって大切なものは変わってしまったんだ)
マーの悲しみは膨らんでいく。
(わたし達は、もう、今までのような関係ではいられないんだ!)
「マーっ!!」
驚いたルーアが追いかけようとした瞬間、マーはルーラの呪文でどこかへ移動してしまったのだった。
あまりにも突然の出来事に、ルーアは何が起こったのか理解できないでいた。とにかく、マーを探さなければと、立ち上がろうとした彼女の肩に、優しく手が置かれた。
「ルーアちゃん、大丈夫。マーちゃんは大丈夫だよ」
「アサナ……」
「ちょっと悩んでることがあって、混乱しちゃってるだけ。一緒に捜しに行こう。ね?」
アサナは優しく、ルーアの肩をポンポンッと叩いた。
「コーディ君、キメラの翼あげるから、ちょっと先にアリアハンに帰っててくれる?アサナ達もマーちゃん見つけたら行くからさ。ルイーダに言えば部屋貸してくれるから、休んでて」
「ああ」
一連の様子を黙って見守っていたコーディは、手早く荷物を背負った。そして、しゃがんだルーアの髪を一度優しく撫でる。
「コーディさん……」
「大丈夫。仲間だろ?心配ないよ。解決するさ」
「はい」
コーディは二人に向けて二カッと笑うと、キメラの翼を高く放り投げてかき消えたのだった。
アサナは、マーの行き先に見当がついているようだった。ルーアは何も聞かず付いていく。アサナは見かけは子供っぽく頼りなげに感じがちだが、実際の彼女は誰よりも洞察力が鋭く、理解力がある。ルーアは仲間内で最も皆を思っているのは彼女だと確信していた。マーのことは心配だが、あせっても仕方が無い。アサナが自分に何も言わないのも、考えがあってのことなのだ。ルーアはアサナの背中を見つめ、歩く。
アサナには、マーの行き先に心当たりがあった。マーの特別な場所。マーだけじゃない。自分たち全員にとって特別な場所だ。
それは、アリアハンの城下町の南の岬。4人が初めて出会った場所だった。