第四話 仲間



 心臓が、壊れたみたいに激しく動機している。
 あまりにも強く打ちすぎて、気を失いそうだ。
 ルーアは自分にあてがわれた部屋の中、扉を閉めると同時に床に座り込んでしまった。
 コーディの行動にも驚いたが、それよりも……不可解だったのは自分の心だ。
 逃げるように部屋に帰ったのは、彼から逃げたかったからではない。自分の気持ち、不意に湧いてしまった想いから逃げ出したかったのだ。
 『 触 れ て 欲 し い 』
 彼の手が自分の頬へと伸ばされたとき彼女の胸に生じたのはそんな想いだった。
 そんなことを想った自分が怖かった。
 そんなことを想う自分を、私は知らない。
 自分自身の心を理解できず、ルーアは恐ろしくなってその場から逃げ出したのだ。部屋へ戻る自分をコーディがどんな表情で見ているか、ルーアは考えたくなかった。
 ----コーディさんに、気づかれていたら……
 暗い部屋の中、ルーアは膝を抱え、身体を小さく、小さくして、膝に顔をうずめた。そして、瞳を閉じ、そのまま動かなかった。


「ルーア……寝不足なの?目が真っ赤よ?」
 マーが心配そうにルーアの顔を覗き込んだ。
「だ、大丈夫。ちょっと温泉に入りすぎちゃっただけだから……」
 ルーアはぎこちない笑顔を浮かべ、言う。マーは「そう」とだけ言うと、後ろを歩くコーディを睨みつけた。その目は、
『あんたが何かしたんじゃないの?』
 そう語っていた。
 コーディは蛇に睨みつけられたカエルのような気持ちで、その場にコチコチに固まって動けなかった。視線をそらすことすら出来ない。
 心当たりがあるからだ。
 昨晩の自分の行動----ルーアの頬に触れようとしたこと、このことがばれたら、自分は確実マーに……その先は考えたくない。コーディの額にうっすらと汗が浮かんだ。
「ほらほら、見詰め合ってないで、さっさと歩く!はぐれメタルを探すんでしょう?」
「誰が見つめ合ってるのよっ!!!」
 アサナが間に割って入り、二人の肩をポンポンと叩く。マーはフンっと鼻を鳴らし、コーディはホッと肩をなでおろした。
 一行は昨日と同じ場所、リムルダール北の森に来ていた。ダースリカントやマドハンドなんかをいくら倒しても経験値はたかが知れている。コーディのレベルもそこそこ上がった今、レベル一つ上げるだけでもかなりの数の敵を倒さなければならなかった。そこでルーアたちは目標をはぐれメタルに絞り、かれこれ数時間あたりを彷徨っているのだった。
「えーと……たぶんアサナの計算だとー……あと一匹倒すだけでコーディ君のレベル上がるはずなんだよね。後一つあげれば、もうレベル上げは終わりなんでしょ?マーちゃん」
「そうね。わたしたちには全然及ばないものの、足手まといではなくなるから。あいつのレベルが後一つあがったら、宝捜しに出かけましょう」
 しかし、その後一つがなかなか上がらないのだ。どうでもいいような時、例えば、ダンジョンでなるべく体力を温存したい時などには、群れをなして出てくるはぐれメタルだが、必死になって探している時には何故かなかなか現れない。案の定、この日は結局はぐれメタルには出会えなかった----
 体力もまだまだあることだし、久しぶりに星空を見ながら眠るのもいいだろうということで、一行は野宿をすることにした。同じ野宿でも魔王討伐の旅のときとは大分違う。今の野宿はキャンプ気分なのだ。自分たちの周りに聖水を撒いておけば、自殺願望のある魔物か気が触れた魔物ぐらいしか襲っては来ないのだから。
 マーとルーアが食事の準備、アサナとコーディが邪魔な下草を切ったり露避けの布を張ったりと、その他の雑用をすることとなった。
 ルーアはマーと笑いながら食事の支度をしている。
 昨夜のことで沈みがちだったルーアを、マーとアサナが冗談を言ったりして必死に元気付け、夕方には彼女はいつもの様子に戻っていた。今も、マーが新しく本で読んだ話を聞かせて笑わせているのである。
 コーディは、そんな彼女たちの様子を、手ごろな岩に腰掛けながら見ていた。脇には刈り終えた下草がまとめて置いてある。
 離れているため、話の内容は聞こえない。ただ、時折、一際高くあがる笑い声が聞こえるだけだ。
「コーディーくん、何見てるの?」
 露除けの布を寝床の上に張り終えたアサナが、コーディに声をかけた。
「いや……別に何も」
「ふ〜ん?隣いいよね?」
 言いながらアサナは既に彼の隣へ腰掛けている。
 法衣の隠しから飴玉を取り出し、コーディに「食べる?」と手振りで示した。コーディは苦笑を浮かべながら、小さく首を振る。
「えーと……」
「呼び捨てで『アサナ』でいいよ。なぁに?」
 飴玉を口に放り込みながら、アサナは顔を向けずにコーディへ言う。
「アサナは、料理の手伝いしないのか?」
「しないよ。分担じゃないもん。それに……」
 口をちょっと尖らせ、
「アサナが料理するとつまみ食いばっかりして、食料がすぐに減っちゃうって、マーちゃんがアサナには料理させてくれないんだもん!」
 ぷぅっと頬を膨らます。
 コーディは軽く笑って、自分のズボンのポケットをゴソゴソと探った。小さな箱に指の先があたるとニヤリと口の端で笑う。ポケットから取り出されたのは、小さなキャラメルの箱だった。アリアハンでおやつ代わりに食べていたものだ。箱を振って中身が入っているのを確かめると、コーディは箱のままアサナに渡した。
「やるよ。まだだいぶ残ってるはずだ」
「いいの?ありがと!」
 アサナは嬉々として箱を受け取り、自分の法衣の隠しへとそれをしまった。はたから見れば絶世の美女。おまけに世界を救った勇者一行の一人、この世に幾人いるかいないかの神に選ばれた賢者だ。世間の人は彼女を女神のごとく崇めているだろう。だが実際にこうして彼女と接してみると----
 変な奴。まるで小さなガキみたいだ。
 コーディは声をあげて笑いそうになるのを必死にこらえた。



「コーディ君はしないの?手伝い」
「あー……オレは……」
 返事につまり、コーディはルーアたちの方を見る。
 焚き火に照らされたルーアの顔は、明るい微笑みに満ちていた。
「オレは、しない……いや、出来ない……かな?あんな顔、オレの前ではしてくれないだろ?
だからさ…せっかく楽しそうだし、邪魔しちゃ悪いだろ?」
 微笑むルーアを見つめながら、コーディは少しだけ寂しそうに言った。
 アサナは、泣きそうな子供に微笑むような表情でコーディを見ていた。彼はルーアたちを見ているので、そのことには気づかなかったが。一瞬目をつぶり小さくうなずくと、アサナは元の調子に戻り、話し始める。
「それはしょうがないよ〜!だって、コーディ君が仲間になってまだ二週間ぐらいなんだよ?
 まだまだ、アサナたちと同じようにはいかないに決まってるじゃない」
 コーディに向かい、人差し指を立て横にチッチッチと軽く振ってみせる。
「まぁ……そうだけど」
「そ・れ・に!コーディ君、ルーアちゃんに何かしたでしょ?」
 コーディの目を軽く睨みながら、アサナはずいっと顔を近づける。コーディは、、思わず身を引いた。ここで反応しては昨夜の出来事がばれるかどうかは別としても、何かあったことは肯定してしまうと分かっていながらも。コーディの顔に後悔の色を見て、アサナの顔にニマ〜っと意地悪い悪魔の笑みが浮かんだ。
「な、何にもしてないって!!」
「やっぱり何かあったんだ!そうじゃないかと思ったんだ〜っ♪
 だって、今日、ルーアちゃん、コーディ君と一回も目合わさないし。コーディ君もコーディ君で、ずっとルーアちゃんの方見てるくせに、目を合わしそうになると慌てて視線そらしてたしね〜。
 で?何があったの?アサナに話してみなさいよ。相談に乗ってあげるから♪これでもアサナ、昔は僧侶様だったんだよ〜」
「えっ……………ヤダ」
 頭で思うよりも口が先に拒否していた。いくら高レベルの僧侶でも、こんなに軽いテンションでは……アサナはコーディの態度が気に食わないらしく、むっつりとした顔で、
「大丈夫だよ。秘密厳守だし!ね?」
「あ!そろそろ飯……」
「まだ出来てないよ。ねぇ、何があったの?」
「あー!そうだ、オレ……」
「そんなにアサナが信用できない……?」
 ウルウルと涙の浮かんだアサナの瞳に見つめられて、コーディはついに観念したのだった。

「ふ〜ん…ま、そうゆうこともあるよね」
 一通りコーディから昨夜の出来事を聞き終わった後、アサナの第一声はそれであった。
「『そうゆうこともあるよね』って……」
 コーディは苦笑を浮かべる。彼女たちの宝物に勝手に手を出そうとした割にはアサナの態度は別段怒っている感じは無い。それどころか、彼の行動を容認しているようである。
「だって、ルーアちゃん可愛いもん。コーディ君も男だしね。お年頃だし。触りたくなる気持ちもわかるよ〜。アサナも男だったら、ルーアちゃんと結婚したいもん」
「……そ、そう」
「それにコーディ君がルーアちゃん傷つけたりしないって分かってるしね。そんな度胸無いでしょ?」
「何だか、けなされてる気がするんだけど……」
「褒めてるんだよ〜。損所そこらの男と違うって。それに……コーディ君にとってルーアちゃんは特別でしょ?理由は分からないけど……ラダトームでルーアちゃんを勇者だって知ったときのコーディ君の反応見てたら誰だってわかるよ」
 城での出来事を思い出し、思わずコーディは顔を赤くし、そのまま拗ねたように口を尖らせ、くるりと後ろを向いた。
「拗ねない拗ねない。ルーアちゃんはきっと誰にとっても何かしら特別な存在であるんだから」
 アサナが慰めに言っているのではない事が雰囲気で伝わってきた。
「世界は実質的に闇に覆われていたんだけど、人々の心はもっと深くて粘着質な闇に覆われていたんだと思う。あの頃、心に光を持っている人は本当に少なかったから……闇に覆われて絶望に陥っていた人の心に光を灯してあげたのがルーアちゃんだから、ルーアちゃんはそういう人たちにとっては神様みたいに思えちゃうんだと思うよ。アサナたちもね。……アサナたちもルーアちゃんもそんなつもりは全然無いのに……」
 淡々と語るアサナの言葉を背中越しに聴きながら、コーディの心に昔の闇が静かに広がり始めていた。
 あの頃は世界はまるで闇しかないようで、どんなに光り輝く宝石や華やいだ人々を見ても、それは夜の闇よりも深く汚らしいモノに見えた。魔王が滅び、世界が平和に満たされたとき、彼を縛りつけ貶めていた鎖も放たれ、彼は生まれて初めて光に触れることが出来た。自分を解き放った勇者という人物を見てみたくて、コーディは躊躇わずに船にもぐりこんだのだ。
 コーディの瞳が、一瞬冷たい氷のような光を宿す。それは、昔の彼の目だった。虐げられ、蔑まされた日々で養われた、世界を拒絶し、憎む、氷の瞳----しかしそれはすぐに、今の彼が持つ穏やかな日の光の瞳に取って代わられた。
 今までの人生に比べれば、彼女たちとの旅は、まるで別世界のようだ。いや、確かに別世界へは来ているのだが、そういうことではなく、同じ人間として----こんなにも、明るい人生があるのかと……コーディはそのことに素直に驚愕し、感激した。彼の心は以前にも増して強い光で照らされていた。
「本当に、信じてるんだよ」
 アサナが、ぽつりと言った。彼は、後ろを振り向いた。彼女は、ルーアたちの食事の準備を優しく微笑みながら見ていた。
「コーディ君が、過去どんな人であっても、アサナたちは今のコーディ君を見てるから。信じてる」
 アサナはコーディに向かって満面の笑顔を見せた。コーディはその笑顔に心の闇がチクンと痛んで、どうしようもない罪悪感に駆られた。
「どうして、信じられるんだ?
 お前ら、オレの過去についてアリアハンでいろいろと調べて……それでも、何の情報もつかめなかったはずだよな?なのに、なんでオレに何も聞こうとしない!?本当のオレを何も知らないのに、どうして信じられるなんて言うんだ!!?ひょっとしたら、魔王の残党かも知れないじゃないかっ!!!」
「魔王の残党?」
 コーディは気がつくと立ち上がり、声を荒げて怒鳴っていた。その声に、料理をしていたルーアたちもこちらを向く。アサナは、ルーアたちに何でもないよ〜☆と手を振り、彼女たちが料理に戻ったのを確かめてから、コーディに向かった。
 コーディは、まっすぐアサナを見つめている。真剣な瞳だ。アサナも、彼の金色に輝く瞳をじっと、目を逸らさずに見つめた。
「ルーアが、信じてるから」
 いつもとは違う、真剣な声だ。同じように淡々とはしているが先ほどと違って力強い。
「ルーアがあなたを信じると決めたのだから、私たちも信じるの。ただ、それだけ。
 過去にどんなことがあっても、今ここにいるのは『今のあなた』でしょう?私たちは今のコーディ君を、信じてるよ。それに、本当のあなたがどんなかだなんて----全てを知り合わなければ、信じあうことはできないと言うの?それこそ、変よ。おかしいわ。
 信じあえることが出来て、初めて、本当の自分を見てもらえるのよ。
 第一……本当の自分なんて、あなた自身、それがどんなものか分かっているの?きっとそんなの誰にも分からないわ。だって、人が一番理解できないのは、『自分』なんですもの……
 信じてくれる人がいて、初めて、怖くても真正面から自分を見れるようになるのよ。きっと。
 私たちはルーアを信じてる。ルーアが決めたことなら従うわ。彼女があなたを信じると言うのなら、私もあなたを信じる。だって、ルーアが私を信じてくれているから。もしもコーディ君が本当に魔王の残党だとして、私たちを裏切ったとしても、そこで信じるのをやめるかどうかはそのときに決めるわ。きっと裏切るだろうからって、裏切ることを前提にしか人と接することが出来ないとしたら……そんな悲しいことは無いと思う……」
 語り終えても、アサナはコーディの瞳から、視線を逸らさない。
 強い意志を宿した、炎のような紅蓮の瞳。
 コーディは耐えられなくなって、目を逸らした。
 彼女たちは馬鹿だ。そんなに簡単に人を信じたりして、裏切られた時、傷付くのは自分なのに。なのにどうしてだろう?自分の方がもっと馬鹿だと思うなんて……コーディは複雑な胸の内に苦悩した。
「裏切られたりして、傷付くんだって思ってるんでしょう?」
 真実を衝かれ、コーディは顔を上げる。
 アサナはいつものおどけた調子で、笑っていた。
 アサナは再び、法衣の隠しから飴玉を取り出すと、自分の口に放り入れた。
「いいよ。本当のことだもん。世界中を旅して色んな人に会ったからね。騙す人、憎みあう人、色んな人がいたよ。でも……ルーアちゃん、信じちゃうんだよね。騙されると分かっていてもさ。
 アサナたちがどんなに止めた方がいいって言っても、絶対に信じ続けちゃうんだ。結果騙されたとしても、笑ってるの。だから、アサナたちも信じることにしたんだよ。で、人を信じて、自分を信じて、世界を救っちゃいましたとさ☆」
 あははと声をあげて笑う。
 そんな彼女を、コーディは見ていられなかった。
 少女たち4人だけで、世界を救ったのである。協力的な者ばかりではなかったであろう。時には、その身に生死ではなく、別の危険を感じることもあったはずだ。人の世の嫌な面も多く見てきたはずなのに、彼女たちは人間の----自分たちが平和に暮らせるために、世界を救ったのである。
 そんな彼女たちを信じられなかった自分を彼は大いに恥じた。
 彼の気持ちを知ってか知らずか、アサナはからかうような声音で、
「ま、ルーアちゃんがコーディ君を信じたい理由はそれだけじゃないと思うけどね♪」
 それだけ言うと、さっさと焚き火の方に歩いて行ってしまった。
「??」
 コーディはなんだか訳が分からないといったふうに、眉にしわを寄せていたが、焚き火の方から彼を呼ぶ、仲間たちの声に、急ぎそちらへ駆けて行った。
 彼の心に、昔の闇を全て打ち消すかのごとく強い、光が生まれていた。それは今までのような外側から照らされる光ではなく、彼の胸のうちから生じた暖かな光だ。
 ----『仲間』
 信じあえる、強い絆。
 我知らず、コーディの顔に笑みが浮かぶ。
 コーディの笑みに少女たちも微笑んでいる。
 自分も信じてみよう。彼女たちを。
 そして、
 生まれ変わろう。彼女たちに信じてもらえるに値する人間に。
 飛び切りの明るい声で、コーディは言った。
「いっただきま〜す!」
 彼の声は静かな平野に暖かに響き、染み渡っていったのだった----



第四話  END