第三話 思い



 ラダトーム城の謁見の間には、気まずい空気が流れていた----
 国王への帰還報告の取次ぎを終えたマーが、仲間のもとに戻り目にしたのは、大切な勇者をきつく抱きしめている盗賊の姿だった。
 真っ赤になって目をグルグルさせているルーアと、彼女を抱きしめたまま動かないコーディ。そして、その側でぽかんと口を開けてそれを見ているアサナ。
 マーは無言でつかつかと三人の元へ歩いて行くと、ベリっとコーディをルーアから引き剥がし、間髪をいれずに彼にメラゾーマの火炎を浴びせた。高熱のために白く輝く炎が轟音をあげて弾けたところでようやくアサナが我に返り、コーディに向けて慌ててザオリクの呪文を唱える。蘇生の聖なる光と炎の嵐が収まると、そこには顔や服に煤をつけたコーディが気絶し倒れてていたのだった。
 その後、兵士が謁見が通ったことを知らせに来て、気絶したままのコーディをマーが引きずりながら、この謁見の間へとやってきたのだ。
 今はもう、コーディは目を覚ましているが、少女たちに涙を見せてしまった気恥ずかしさと、問答無用に焦がされた怒りでムスっとして横を向いている。
 マーにいたっては、身も凍るような怒りのオーラを発しながら、死神のような目でずっと空中を見ているのだ。怒りの余り、口元にはうっすらと笑いまで浮かんでいる。
 二人の間でオロオロとしているルーアと何故か微笑ましそうにそれを見ているアサナ。
 こんな4人を前に、引きつった笑いを浮かべる国王ラルス一世がなんとも気の毒である。
「あー……えー……コホン。元気でやっておるかね?ロト殿?」
「はい。国王陛下もご健勝のようで何よりです」
「今日は……マジンの姿が見えぬようだが……?それに、その男は……?」
「マジンはあちらの世界に残っております。彼は----新しく仲間になった、盗賊のコーディです」
 紹介されて、コーディは居住まいを正し、国王に向かい慇懃な会釈をする。
 王族や貴族などとは無縁の世界で生きてきたであろう彼のきちんとした作法に、ルーア達は以外だという表情で彼を見てしまった。しかし、国王への礼を終えるとコーディはいつもの彼に戻ってまたムスっと横を向いてしまった。ルーアとアサナは軽く顔を見合わせて、また前を向いた。
「そうか、マジンはあちらに残ったのか……。コーディと申したな、勇者殿をよろしく頼むぞ。
 いくら勇者と言えども、うら若き乙女だ。賤しげな心をもって近づく輩も多いじゃろう。仲間内で唯一の男のお前が、しっかりと彼女らを護ってやるのじゃぞ」
「は、はい…!」
 再び背筋を伸ばし、緊張した面持ちで返事をするコーディに、ラルス一世は暖かな笑いを浮かべた。
 ようやく、緊張した部屋の空気が柔らかくほころんでくる。
 ルーアもホッと短く、安堵の溜息をついた。
「陛下、どこかに強い魔物に困っている地域はございませんか?」
 怒りのオーラの放出を止め、マーが唐突に切り出した。
「む……魔物に困っている地域か?う〜む……そうじゃのう……リムルダール北部の山岳地帯や森の奥深くに、大魔王死後、多くの魔物が移住してきたそうじゃ。魔の島は日々沈んでいるからの。町や村にはさほど被害は出ていないが、猟師やきこりが困っておるらしい。まだ、誰かが襲われたと言う話は無いのだが……」
「わかりました。ありがとうございます」
 マーは悪魔も怯むような冷たい微笑を浮かべた。

 一向は一緒に食事をと言うラルス一世の申し出を丁重に断り、城を後にした。
 以前は航海不可能だった内海も大魔王征伐後は穏やかな元の海に戻ったため、ルーア達は海路リムルダール北部を目指すことにしたのだった。以前は魔の海と恐れられたこの海域も今では一転して平和そのものだ。あれほど頻繁に襲ってきた魔物もほとんどいない。姿を見かけても一目散に逃げ出してしまうものばかりだ。魔物の方も、勇者ロト----ルーアの存在を恐れているのだ。それでも、コーディのレベル上げのためにと、マーがしびれくらげを掴まえて戦わせたりしながら、旅は穏やかに続いていった。
 およそ2日の船旅で、一行はリムルダール島の北部まで辿り着いた。島の北端に上陸し、強い魔物の出るという場所へ向徒歩で向かう。
「マーちゃぁん……まだ歩くのぉ?」
 アサナが泣き出しそうな声をあげる。
「しょうがないでしょ?わたしたち、誰も『くちぶえ』使えないんだから」
 二人のやり取りを苦笑いしながら見ていたルーアの眼が、スッと鋭くなった。
 コーディはそんなことには気づかないで、そばにあった大木に寄りかかる。
 と、
   ポタ…  ポタ…
 彼の肩にねばねばとした液体が滴り落ちてきた。
 彼が上を見上げるとそこには、大きく顎を開けた褐色のドラゴンが大木の幹に巻きついていたのだ。
 ドラゴンは今にもコーディの頭に喰らいつきそうなほど殺気立っている。
「ひっ…!」
 初めて見る本物のドラゴンに、コーディは恐ろしさのあまり身体が竦んでしまい、声も出ない。目だけがただ見開かれドラゴンの動きを一部始終見ていた。さらに大きく開かれていく顎。その喉の奥から徐々に溢れ出してくる紅蓮の火炎……見えているのに逃げ出すことが出来ない。そして、ドラゴンが灼熱の火炎を吐きながら、コーディに飛び掛ろうとしたその瞬間----!
 コーディの見開かれた目の前で、炎は二つに切り裂かれた。ドラゴンのその巨体と共に。
   どさ……っ……!
 綺麗に半分になったドラゴンの亡骸が大木の両側に落ちた音で、コーディは我に返った。
   トン
 背後で軽い音がし、振り向くと、ちょうどルーアが地面に着地した所だった。王者の剣についたドラゴンの体液をシュッと一振りで振り払い、剣を鞘に収める。
「え……あ……?」
「コーディくん、お礼は?ルーアちゃん、助けてくれたのよ」
「ア、アサナ……お礼だなんて……!な、仲間なんだから、あたりまえだよ……!」
「え……?な、何が起こったんだ?何をしたんだ?ルーア……?」
 常人にない力を見せられた恐怖にも似た感情を抑えながら、コーディはルーアに問うた。
 ルーアはそれには答えず、悲しげな笑いをし、「さ、行こう」と、歩いていってしまう。
「ル、ルーア??」
 知らず知らずのうちに声は震えている。自分がどのような表情で彼女を見たのか、彼はルーアの反応で悟った。きっと、人ではないものを見る目で彼女を見ていたのだろう……彼女の悲しげな表情が胸に突き刺さった。だが、コーディの足は地に付き離れなかった。身体が、本能が彼女を恐れている----
 後を追うこともせず佇むコーディに向かい、マーがいつも以上に他人な冷たい声で、
「ドラゴンの炎が吐かれる瞬間に、ルーアがあんたとドラゴンの間に……ほら、ちょうどその木が窪んでいる所よ、そこにジャンプして行ったのよ。で、剣を抜きざまにそのままドラゴンと炎を切ったの。あんたが怪我しないようにね」
「……………」
 そんなことを、あの少女が?優しげな外見からは到底想像できないような、神業を、あの大人しい少女がしたというのか?コーディには俄かに信じられなかった。たった今、直に目で見たというのに。
 これが、『勇者』の力、世界を救った力----
 彼は急に空恐ろしくなって、ブルっと肩を抱いた。
 そんな彼の様子を、マーは冷酷な瞳で見ていた。
 ほら、御覧なさい。普通の人間がわたしたちと共にいられるわけがないのよ。あんな男に好意を抱いたりしたら、ルーアは絶対に傷付くに決まってる。現に、ほら、さっきのルーアの攻撃を見ただけで、もう……
「アサナ、行くわよ」
「あ、うん……」
 一連の行動を黙ってみていたアサナも、コーディをちらちらと見はするが、声をかけずに行ってしまう。
 コーディは、少女たちの姿が森の木々に隠れて見えなくなっても、まだその場に佇んだまま動かなかった。



 コーディは、三人を追わなければト思いながらも、その場を動けずに居た。
 自分は、本当に彼女たちに付いていって大丈夫なんだろうか?コーディの心に不安な思いがひたひたと広がっていく。
 彼女たちにとっては雑魚かもしれないが、普通の人間から見たら化け物にしか見えないような魔物達と戦う旅で、オレは生き残れるだろうか?彼女たちが自分を護る余裕があるうちはいい。だが、もしも彼女たちでも苦戦するような魔物と出会ったら……
 ひょっとして、死----
 そこまで考えて、コーディはブルブルっと、激しく頭を振った。
 彼女たちだって、初めからあんなに強かったわけじゃない。きっと、数え切れないほどの魔物と戦い、あれほど強くなったんだ。未だ少女といえる年齢から、世界を救うまでの間、怖いことも、辛いこともあったはずなのに----誰にも文句も言わず、世界のために、オレたちのために戦ってくれた。
 さっきのルーアの微笑み、あれは人として受け入れてはもらえないと理解している、悲しい微笑みだったんだ……いくら同じ人間だって言ったって、きっと、殆どの人が彼女を異なる存在としか取ってくれない。神のように崇めるか、悪魔のように恐れるか……
 オレは……?
 コーディは走り出していた。
 謝りたかった。いや、抱きしめたいのかもしれない。
 なんて、重いものを背負ってるんだ、あの子は……!
 コーディは一心不乱に走り続け、ようやく、少女たちを目で捕らえられる位置まで来た。
 少女たちは、3対の足と羽根を持つ、獅子の頭をした魔物7体と戦っていた。戦闘は既に終わりかかっており、魔物の大半は地面に臥していた。コーディは緊張しながらも、彼女たちの側に駆けて行く。
 と、コーディの目の端に、奇怪なものが映った。粘土質の手が、木の枝から生えている。しかもルーアの真上の枝に。彼女はそのことに気づいていない。その手はめいっぱい縮むと、ルーアに向かって弾丸の勢いで跳躍した!
 頭で考えるより先に、身体は素直に動いていた。
「っあぁぁぁああぁぁあーっっ!!!!!」
 コーディは雄叫びを上げながら、ルーアに向かって突進した。
 ルーアは彼の叫び声に振り向く。少女の驚愕に見開かれた瞳に彼の姿が映ると同時に、彼女はその場から突き飛ばされていた。
「!?」
「うわっ!」
 ルーアを突き飛ばし地面に倒れたコーディの背に、マドハンドが降ってくる。アサナが間髪をいれずに、メラゾーマでいっきにマドハンドを蒸発させ、コーディにベホマを唱えた。
「あちち……ふー……ルーア、大丈夫か?」
 ルーアは、コーディに突き飛ばされ、上半身を起こした姿のまま、戸惑った表情で彼を見つめていた。先ほどの出来事で、コーディは自分を恐れているはず、彼が戻ってきてくれたことは嬉しいが、どうして良いのか分からない。それに日ごろ仲間を救うことを主として来た彼女は、自分の油断のせいで仲間を傷つけてしまった、悲しみに、次第に彼女の瞳に透明なものが潤みが帯びてくる----
 涙の浮かんだ、ルーアの目を見、立ち上がり、服についた土を払い落とした。そのまま彼女の下へ行き、黙って手を差し出す。その顔には優しい微笑が浮かんでいる。
「怪我は無いか?」
「コ、コーディさん……わ、私……」
「仲間なんだから、あたりまえのことをしたまでさ」
 言って、屈託無く二カっと笑った。
 ルーアは、きょとんとした表情を浮かべ、やがて花がほころぶように微笑むと、
「はい……」
 と一言だけ言い、うなずいた。

 レベル上げは、順調に続いた。戻ってきたこと、ルーアを助けたことで、マーの中のコーディの株も多少は上がったらしく、彼に対する彼女の嫌味の回数も減っていた。アサナは戻ってきたことで完全に彼を仲間として認めたようだ。お気に入りのキャンディーを彼に気前良く分け与えたりしている。ルーアのコーディに対する緊張もほぐれたようだ。しかし、たまに思い出したかのように顔を真っ赤にして恥かしそうにしていることがあった。
 そんなこんなで、一向はコーディのレベルが20を越えた所で、休息を取るため町に戻ることにしたのだった。
「はいは〜い!アサナはマイラの村が良いと思いま〜す!」
「あんたね〜……温泉に入りたいだけじゃないの?」
「あたりまえじゃない。マーちゃんは嫌なの?ルーアもマイラがいいよね♪温泉好きだし」
「うん」
「……ルーアがいいんじゃ仕方ないわ。マイラに行きましょう」
 コーディは、少女らのやり取りを意味もわからず聞いていた。自分に決定権が無いのはわかっているが、場所の説明ぐらいしてくれたって----そんなコーディの不満そうな表情に気づいたアサナが、簡単に説明する。
「コーディ君、マイラの村はね、温泉があるところなの。どんな所かは、行けばわかるから。
 んじゃ、れっつごー!」
 アサナの掛け声と共に、ルーラの呪文が発動したのだった。

 マイラの村は、以前の様子とは打って変わって、かなり活気付いていた。魔物への恐怖がなくなり、温泉への湯治にくる旅行者が増えたからだ。
 大魔王時代に傷を負ったものは多く、マイラの村の宿屋は湯治客でいっぱいだった。だが、宿の主人はルーアたちを大歓迎し、温泉付きの最上級の部屋をそこに泊まっていた富豪の客を別の部屋に移してまで彼女らに用意した。もともと、村一番の宿だったが、勇者ロトが泊まった宿として、平和になった今や客が押し合い圧し合いしてこの宿に泊まりたがり部屋数を増やしに増やして、ついにルーアたち専用部屋----ロトの間----を作るまでにいたったのだ。宿の主人にしてみれば、勇者様様である。
 ロトの間は、居間を中心に、小さな4つの部屋があり、庭には露天風呂がついている。各部屋にはルーア達の名前がつけてあり、そのインテリアも彼女たちのそれぞれの個性溢れるものとなっていた。ルーアたちはこの趣向に笑いながら、各自自分の名が付いた部屋に泊まることにした。当然、コーディの名は無いので、彼だけは自分ではなく、マジンの名のついた部屋になっただが。コーディを各小部屋に分かれているとはいえ、同じ部屋に泊めることにマーは大反対したが、同じ仲間なのに、別々の部屋に泊まるのはおかしいと、ルーアが頑固に言いつづけたので、マーもしぶしぶ同意したのだ。部屋がさらに4部屋に分かれていなかったら、ルーアも一緒の部屋にとは言わなかっただろうが。
 丸一日、闇雲に魔物と戦ったおかげで、コーディはクタクタだった。
 ルーアの好意で、一番風呂に入らせてもらって、美味しい食事とふかふかなベッドの効果もあり、彼はすぐに心地よい眠りに落ちていった。