第ニ話 勇者



 盗賊コーディを仲間に加えたルーア達は、その翌日もルイーダの酒場で話し合っていた。
 今日の会合はこれからのことについての話し合いである。今も再び二階の特別席に座り、大きな樫のテーブルに世界地図と菓子や果物などをのせ、和気藹々と意見を交わしている所。
「なぁなぁ、あんたたちレベルいくつ?」
 四人の素性も知らず、コーディは興味津々で聞いてくる。昨日、簡単に自己紹介はしたのだが、それは年齢と名前のみという至極簡単なものだったのだ。彼女たちが職業をあえて述べなかったことも、コーディは気にはしていない様子だ。
「……あなた、わたし達が誰なのか、本当にまったく何にも知らないわけ?」
 相変わらずの絶対零度の冷ややかな視線で、マーが言った。マーはとにかく、コーディが気に食わない。
「知らない」
 そんなマーの態度をものともせず、コーディは平然と言ってのける。
「……そんなに情報に疎くて、よく、盗賊になれたわね……」
 言ってマーは、はぁ…と深い深い溜息をつく。
 この様子にはさすがにムッとして、コーディは机に背を向けた。
「まぁ、まぁ。そんなに新入り君をいじめないでやろうよ」
 そんな二人の間にアサナが割って入って場を和ませようとニッコリと笑う。かなり苦いものも混じっているが。
 しかし、マーはそんなアサナの態度も気に食わず、キッと彼女を睨みつけて、
「はっ!こ・ん・な・盗賊がパーティに入るなんてっ!!わたしは……っ」
 『絶対に嫌!』マーは、その言葉を飲み込んだ。
 ルーアの泣きそうな顔が目に入ったからだ。
 ルーアは昨日の帰りも、申し訳なさのあまり顔を真っ青にして、ひたすら三人に謝っていた。瞳に今にも零れ落ちそうなほど涙を溜めて、何度も何度も『ごめんね、ごめんね』と……。皆で全然気にしてないから大丈夫だと言っても、謝るばかりで、最後にはついに泣き出してしまったのだ。ルーアを家に送ってから、三人でコーディのことをどうするかさんざん相談した挙句出した結論が、
  『ルーアの決めたことだから従う』
である。----初めから分かっていた、結論であったが……
 今日の話し合いまでに、三人はコーディについていろいろと情報を集めようとしていた。だが、アリアハン一顔が広いマダム・ルイーダにあたっても、冒険者仲間にあたっても誰もが皆、彼の素性を知らないと言う。一週間ほど前にアリアハンに来て、二・三日前にルイーダの酒場に登録したということ意外は、まったく情報がなかったのだ。
 素性の知れない男……そんな奴をルーアの側に近づけるなんて……マーの苛立ちは増すばかりであった。
 そんなこんなでの今日である。仲間仲間と自分に言い聞かせてはいても、ついつい文句が出てしまうのだ。愛想よくしろといわれても、そう簡単には出来はしないのであった。
「う〜ん……まぁ、性格はともかくとして。腕はどうなのぉ?職歴はないよね?冒険者になったのは初めて?」
 アサナがうさぎ型のりんごの刺さったフォークをピコピコさせながら聞く。
 コーディは、膨れっ面で後ろを向いたまま、小さな声で
「……レベル1。職歴無し。初めて」
 と言った。
「ってことは、レベル上げだよね。やっぱり」
「そうだね。レベル上げだね。アレは四人までだろ?あたい、抜けようか?」
 マジンが言う、あれというのは、マー達三人で創り上げたアリアハンのある世界とアレフガルド側を繋ぐ旅の扉のことである。どうやら一時に通れる人数は最大四人のようである。何故だか理由は分からないが。
「あたい、抜けてもいいよ?ちょうど、今まで集めた武器や防具を全部磨いて整理したいと思ってたからさ」
 マジンは、武器防具マニアである。旅の間に見つけた武器防具は全種類一個ずつ集めてある。その数といったら----軽く百を越えるであろう。その全てを磨くとなると、相当の月日がかかりそうだ。
「そう?じゃ、マジンちゃんが抜けるとしてぇ…どこでレベル上げする?魔王も居ない今じゃ、魔物の数も少ないしね」
 言ってアサナは、パクっとりんごを口に入れた。
 レベル上げ----その言葉を聞いて、マーの瞳が意地悪く輝きだした。
「レベル上げなら、手っ取り早く出来るわよ。あっちなら…ね」
「マ、マーちゃんでも、あっちは……」
「アサナは黙っていて。彼ももうわたしたちの仲間なんだから、あっちに連れて行ってもいいわよね?ルーア?」
 マーはルーアの瞳を見つめながら言う。ルーアは少し躊躇してから、こくりと首を縦に振った。
「おいおい!俺のことを俺抜きで決めるなよ!」
「あんたに、選択権は無いわ。私たちのレベルに追いつくことは無理だとしても、役に立つくらいにはレベルアップしてもらうから、覚悟しときなさい」
「なんなんだよ、偉そうに!お前ら、そんなにもレベルが高いのかよ!!」
「愚問ね。わたしたち全員、レベル60以上よ」
 言い放たれた言葉に、コーディは絶句した。
 レベル60以上----そんな冒険者はこの世界でもこの四人以外はいないだろう。最上級の冒険者でもせいぜいレベル30前後がやっとである。それを60以上とは……この四人はいったい?コーディは思わず、ルーアを見た。
 ルーアはコーディと目が合うと、スッと視線をそらす。
 昨日から、自分は気が変になってしまったのかもしれないと、ルーアは思っていた。どうしても、この人----コーディの前に出るとドキドキして、顔もまともに見ていられないのだ。そして、彼に、自分が世界を救った勇者だと知られるのは、なんだか怖いような気がしている。小さい頃から勇者となるべく育てられたルーアは、いつでも勇者として見られてきた。さすがに遠い街や未開の地ではそんなことも少なかったが、世界を救ってからは、誰もがルーアを勇者様として崇めてくるのだ。
 そんななか、コーディだけが、彼女を勇者以外の----一人の女の子を見る眼で見てくれたのだった。
 そんなルーアの気持ちに気づかず、コーディは彼女の行動をまったく別の意味に捉えていた。すなわち、自分とはあまりにレベルが違うので、下のものとは話したくないとか、関わりたくないとか、そういう風に捉えてしまっていたのだ。
 ガタンっ
 コーディは勢いよく席を立つと、
「……分かったよ!言うとおりにすればいいんだろ!!
 出発日時が決まったら、ルイーダに伝えといてくれよ!じゃあな!」
 怒りに満ちた声でそう怒鳴ると、さっさと部屋を出て行ってしまった。
「あ……」
 ルーアが悲しく、声を漏らした。
「ふぅ……怒りっぽい男ね。こんなんじゃ先が思いやられるわ。
 ルーア、気にしなくていいわよ。まったく……」
 マーがぶつぶつと文句を言う横で、アサナとマジンは顔をあわせて苦笑いをしている。
「とりあえず、詳しい日程を決めましょうか」
 暦を取り出して、マーが言った。


 コーディは、怒りを撒き散らしながら、アリアハンの城下町を歩いていた。
 自分のレベルが低いことは分かっている。しかし、年下の女にあのような態度をとられると……さすがに怒り心頭である。
 壁を殴りつけ、木を蹴飛ばし、猫とガン付け合いながら、コーディはどんどん歩く。
 彼がアリアハンに来たのは、これまでの自分を捨てるためだった。弱虫で、情けない自分とはおさらばしたくて、ここにやって来たのに……世界を救った勇者が住む、この国へ。
 彼がアリアハンに着いたときには、既に勇者出席の祝賀パレードは終わってしまっていたので、コーディは勇者の顔を知らない。美しい少女だと言うことは知ってはいるのだが……まさか、その少女がルーアだとは微塵も思わない。
「あの子、俺のこと苦手なのかなぁ……それとも……」
 ----見下しているのか?
 コーディの瞳が、鋭くなった。見下され、蔑まされていたこれまでの生活が、脳裏をよぎったのだ。
 あんな、少女にまで……いや、あの子には、そんな気持ちはない。あの、綺麗な色違いの宝石のような瞳には。
 昨日のルーアの態度を思い出して、コーディの顔に次第に笑みがこみ上げてくる。
「男慣れ、してないんだろうな」
 くくっ、と笑いながらつぶやいた。
 顔を真っ赤にして、うつむきながら話す少女。彼女の純粋な心や素直さ、素朴さに顔がほころんでしまう。濁っていた心が清流によって、洗い流されていくような心地よい感覚だ。
 コーディは、一つ深呼吸をした。そして、近くに通りがかった野良犬の頭を一撫でしてから、宿屋の自分の部屋へと軽い足取りで歩き出したのだった。



 三日後、ついに出発の時が来た。
 先日の別れからの空気を引きずって、ルーア達はやや緊張気味であったが、コーディの方はそんな彼女たちとは正反対に晴れ晴れとした様子だ。
「で、どこへ行くんだよ?」
 コーディがニコニコ笑顔で、ルーアに尋ねた。
 彼が怒っているのではないかと不安だったルーアは、彼の態度に緊張を緩め地図を取り出し説明しようとコーディに一歩近づいた。
 と。
「いいから、黙ってついてきなさいよ」
 二人の間を遮って、マーがコーディを睨みながら言う。
「はいはい」
 コーディは口笛を吹きながら、隊列の一番後ろへとまわった。隊列の組み方や旅のルールなど基本的なことは、既にルイーダを通じて伝えてある。彼の持ち物も旅のルールにのっとって自分に必要最低限のものだ。個人的に欲しいもの以外は、旅の間の費用はリーダーが全て持つことになっている。それはどこのギルドでも同じ事だ。もちろん、出資する変わりに旅の間に入手したお宝は全てリーダーの所有するものとなるのだ。メンバーにはリーダーからそれぞれに報酬が手渡されるのである。
 3人のやり取りを横で、アサナはシュークリームを食べながら見ていた。その顔には子供の喧嘩を微笑ましく見つめる暖かい微笑が浮かんでいる。
 最後のシュークリームを食べ終わると、アサナは勢いよく右手を振り上げながら、
「んでは、ジパングにレッツゴーですナ♪」
 景気よく声をあげ、ルーラを唱えた。


 周りの風景が歪んだ!と思ったら、次の瞬間、ルーア達はジパングに到着していた。
「お、俺、ルーラするの初めてだった……」
 ドキドキする胸を抑えながら、コーディがルーアに言う。ルーアは、ちょっと笑って彼に手布を差し出した。コーディはルーアがどうして手布を差し出したのか、分からずきょとんとした顔をした。コーディの表情に彼にルーアは優しく、アサナはいたずらっ子のように、そしてマーは嘲るような笑いを浮かべていた。
 そこは、恐ろしいほどに暑い洞窟だった。
 真っ赤の溶岩が、所々に噴出し、遠くで魔物の吼え声がいくつも聞こえる。じっとしていても、汗が噴出してくるのだ。ルーアが手布を差し出してくれた理由もすぐに分かった。次から次に溢れ出てくる汗は、拭いても拭いても止まらないのだ。コーディは以前砂漠を旅したことはあったのだが、あの乾いた世界とは全く違った熱気に、ただただ閉口するのみだった。
 泣き言も言わず黙々と進んでいた彼を見て、マーはアサナに苦いものを含めた視線を送った。おちょうしものの口だけの軽い男だと思った彼の意外な一面に、彼女は不本意ながらも少々感心してしまったのだ。そんなマーの気持ちを察して、アサナはマーに苦笑いを返す。
 一向は洞窟の奥を目指し進んでいく。半ばまで来て、それまで頑張ってきたコーディだったがさすがにダウンしてしまった。
 溶岩から離れ壁を背に休んでいると、不意にコーディは暑さが和らいだ気がした。全身から噴出していた汗も量が減っている。ルーアの出発の声に歩き出しても、さっきまでの地獄の熱気はどこへやら。感じる熱気はお風呂の湯気程度である。コーディは自分のレベルが上がったせいだと思い、意気揚揚と歩いて行く。本当は、彼を気遣ったルーアがマーには内緒でこっそりとアサナに、彼にフバーハをかけてくれるように頼んだおかげだったのだが……そんなこととは露とも知らないコーディは自身満々、胸を張って鼻歌なんか歌いながら歩いているのだった。
 洞窟の一番奥、溶岩の湖の端で、コーディは不思議なものを見ることになった。
「何だ…これ…?」
 淡い水、桃、紫と光る色の粒子が渦を巻いている。その周りを、銀色の光を放つ光の壁がピラミッド型に覆っているのだ。
「旅の扉だよ〜。普通のとはちょっと色が違うけどね。見るのは初めて?」
「う、うん……旅の扉のことは話には聞いたことあるけど、実際目にするのは初めてだ…」
「聞いたことがあるなんて、驚きね。まったく何も知らないのかと思っていたわ」
 マーが冷たく、言い放った。マーの態度にややムッとしながらも、コーディはハラハラと見守っているルーアと目が合うと、ニヘラと笑って見せた。
 話し合いの日、怒鳴って出て行って自分の部屋に戻った後、コーディは冷静になって、いろいろと考えたのだ。
 ルーアの純真さを思えば、彼女の仲間たちが俺のような男が彼女に近づくのは許せないことであろう。友として、大切に大切に護ってきた彼女が、俺のようなものと付き合って、何かあったらとんでもないということだ。そんな少女たちの友情を思ったら、マーの嫌味も彼には可愛いものに思えてきたのだ。
 腐っても……嫌、レベルは低くても、年上。こんなことでいちいち腹を立てていたら、大人気ないというものである。
「いい?旅の扉に入るよぉ?」
 アサナの言葉に、一同うなずき、結界へと突入する。
 ルーア、マーがまず旅の扉にゆっくりと入っていく。彼女たちの姿が一瞬揺らいだと思った瞬間、すうっと溶けるようにその姿は掻き消えた。
 不安そうに旅の扉を見つめるコーディにアサナは、
「大丈夫。別にどうかなっちゃうわけじゃないよー。ほら、行った行った!男の子でしょ!」
「こ、怖がってるわけじゃない!
 …ったく、何で俺がこんな年下に子ども扱いされなきゃいけないんだ…?」
 コーディはブツブツ言いながらもアサナの後について旅の扉に足を踏み入れた。洞窟の景色が徐々に虹色味を帯びていく----視界が虹色に染まったと思った瞬間、身体がものすごい勢いで回転するような、小さな粒になるような、圧縮されるような感覚がした。
 永遠に続くような一瞬の間に、コーディは何時の間にか気を失ってしまったのだった。