プロローグ



 大魔王ゾーマの脅威にさらされ、闇の世界へと変貌していたアレフガルドの世界に光が取り戻されてから、すでに1年が経とうとしていた。
 世界を救った勇者ロト----オルテガの娘ルーア----は仲間たちともに、その後も旅を続けていた。故郷へと帰る方法を捜し求めて……


「わたし、もう我慢できないわ」
 言うなり、賢者マーは立ち上がった。長く背中に伸ばした髪が、さらさらと揺れる。きりりと釣り上がったチェリーダークの理知的な瞳。額には神に選ばれし者の証し、賢者だけが身に付けることが許されるの赤い宝玉の付いたサークレットが飾られている。彼女は苛立ちに頬を高潮させ、手はグッと握りこぶしが作られていた。
「どうしたの〜?お手洗い〜?」
 同じく賢者のアサナがのんきな声をあげる。片手にはストロベリーケーキ、もう片方にはハーブティーのカップを持っている。同じく長く伸ばしてはいるが、マーのストレートの髪とは違い、彼女の髪には緩やかなウェーブがかかっていた。瞳は大きく、彼女の無邪気さを写し輝いている。色は真紅。ルビーの色だ。
 勇者ルーア一向は現在、アレフガルドから遠く南東に位置するデルコンダルを訪れていた。
 アレフガルドが存在するこの世界の隅々までを探索し尽くしたが、結局の所、元の世界へ帰る方法は発見できなかった。あまり根を詰めすぎるのもよくないと、かつて敵対し今は友人関係にある元大盗賊、現デルコンダル王カンダタのもとへと骨休めに来ているのだ。
 マーはイライラしながら、部屋の中を見渡した。
 部屋は豪勢で乙女チックそのものだった。カンダタが落ち込んでいるルーアのためにわざわざ設えさせた部屋である。優しいピンクをベースに薄い色使いで心安らぐ雰囲気にし、カーテンなどの布地も肌触りの良い柔らかな高級なものをふんだんに使ってある。椅子に添えられたクッションも可愛らしい刺繍やレースが施されているし、棚には高級な調度品の代わりに熊や兎などのぬいぐるみが飾られている。外はまだ肌寒いが、部屋の中はまるで春のように暖かだった。
 しかし、今この部屋にルーアの姿は無い。部屋には戦士マジンと賢者アサナ、そして賢者マーの三人がいるだけだ。
「違うわよ。これ以上この世界を探したって無駄だってこと」
「アリアハンに帰る方法のこと?」
 カーペットに直接座り、愛用の破壊の鉄球の手入れをしながら、マジンが言う。マジンは戦士だ。アメジストの豊な髪は天然のうねりで滝のように肩から流してある。瞳も同じく紫色。武具集めが趣味なので、暇さえあれば自慢のコレクションを磨いているが、その様子はまるで美術品を磨いてる様に見える。とてもじゃないがその磨いている道具で、こんな彼女が恐れず一撃で爆弾岩をも砕くとは、誰も想像できないだろう。
「そう。だいたい、もともとこの世界にはそんなもの存在しないのよ。神様……精霊神ルビスがそんなもの創っていないんだから」
「え〜!じゃあ、アリアハンに帰れないじゃん!」
 アサナもケーキを皿に置き、マーの方へと身体を向ける。
「そう。だから、我慢できないって言ったのよ」
「我慢できない……ってことは、マーちゃん何か知ってるのね?」
 アサナはマーの瞳を見詰め、問う。マジンも破壊の鉄球を床に置き、二人の近くに寄った。
 マーは顔をこわばらせてこの上なく真剣な様子で、二人に顔をもっと近づけるよう手招きをした。二人の顔が近づくと、深く深呼吸してから、ゆっくりと密やかな声で彼女は話し始める。
「いい、これから言うことは、本来人間が考えることすら許されない領域なの。
だから絶対に……たとえルーアにでも、話しちゃダメよ」
 ゴクリと二人の喉が鳴る。
「……………わたしたちで、道を創るの……」
 二人は驚いて、思わずマーの顔を見た。
 道を創る……それは、神をも恐れぬ行為であった。
 本来なら、神々同士が話し合い、互いの力を持って初めて繋ぐことが出来る異空間同士を、人の力によって無理やりつなげるのだから。
 三人は、しばらく押し黙っていた。
 外で、小鳥の鳴く声が聞こえる。ピチチと一頻り歌ってしまうと、小鳥は枝を飛び立った。その羽音が聞こえなくなる頃、漸くアサナが口を開いた。
「本当にやるの?そんなこと……出来るの?」
 不安そうにつぶやく。マーはそんなアサナを鋭くにらむと、きつい調子で言った。
「理論上は出来るわ。成功するかは……ううん、そんなこと問題じゃない。成功するにしてもしないにしても、やるのよ!」
「でも……」
「わたしはもう絶えられないのよ!アサナは何とも思わないの!?
 今のルーアの様子を見ていてっ!!」
 荒く息をしながら、言い放ったマーの言葉に、アサナはうつむいてしまう。マジンも唇をかみ締め、横を向いていた。

 ルーアは痛々しいほどに弱っていた。
 心の痛みのあまり、身体もやせ細り、1ヶ月ほど前から話せなくなっていた。声が出ないのではない、精神的なもので話せないのだ。
 大魔王を倒すとアリアハンに戻ることが出来ないことを、ルーアは知らなかった。
 必ず戻れると、信じていたのだ。
 ゾーマを倒し、精霊神ルビスにそのことを聞かされたとき、三人もショックを受けた。だが、ルーアはそれも運命だ、平和な世界になったのだからこの世界に住むのも悪くないと、三人を慰め、これからも頑張ろうと励ました。しかし、しばらくすると、ルーアの様子がおかしいのに、三人は気づいてきた。夜中にふらっといなくなるのだ。三人が探しに行くと、高い高い木の上に登り空を見上げていた。
 切なそうに、悲しそうに……
 空の向こうには、懐かしい故郷がある。厳密には、空の向こうではないが……遠い、遠い、異世界に、懐かしい人々がいる。
 その様子を見て初めて、三人はルーアが一番戻りたいと願っていることを知ったのだった。
 次の日、三人は帰る方法を求め、旅立つことを決めた。
 しかし、ルーアは日に日に望郷の念を募らせ、衰弱していったのだ。

「あんなの、ルーアじゃないわ……あんなの……」
 マーの頬を静かに涙が伝っていく。
 いつでも、一人で頑張っているルーア。
 帰りたいのに、帰れないのに、愚痴一つ言わず、自分たちを慰め、励ましてくれるルーア。
 そして今、励ましの言葉を口にする苦痛から逃げるために自ら知らずうちに声を出せなくなったルーア。
 助けたい。
 心の底から思う。その思いは、他の二人も一緒----
「わかったわ。どうすればいいの?マーちゃん」
 アサナも頬に雫をこぼしながら、マーの手をぎゅっと握り締めた。マジンがその上から手を乗せる。
「やってみよう……!ルーアの、あたいたちの勇者のために!!」



 三人は、かつて大魔王ゾーマが君臨していた城の跡地に立っていた。
 魔王が出現する以前は、精霊神ルビスの神殿として華麗に優美に装飾された神殿も、今では無残にも崩れ落ちている。廃墟と化した城の瓦礫の山に奥深くに進入できる隙間を見つけ、マーたちは中に潜り込んだ。道々にある魔物の屍骸を、メラゾーマの紅蓮の炎で弔い、柱や天井、壁の残骸を上手に組み合わせて、細い通路が崩れ落ちないようにしながら、奥へ奥へと進んで行く。
「ねー、マーちゃん。ルーアちゃんは、大丈夫かしら?
 アサナたちがいなくなって、心配したりしてないかな?」
 アサナが、前を行くマーに声をかけた。三人は、マジンを先頭に、マー、アサナの順に歩いている。
「心配いらないわ。カンダタにこっちの世界の宝石やらドレスやらを見せるように頼んであるから」
「そっか。なら安心だね。ルーアちゃんは可愛いものとか綺麗なものが大好きだもんね」
「ふふ。そうね。あんなに凛々しい女勇者様なくせに、乙女チックなものが大好きだものね。同じ物を何回見ても飽きないんだから」
 二人は、顔を見合わせてクスクスと笑った。
 不意に、マジンが立ち止まり、マーは彼女の背に軽くぶつかってしまった。
「どうしたの?」
「どうやら、この先はもう行けそうも無いよ」
 マジンが肩をすくめる。マーはあたりを見回し、ふと思い当たる。ここは以前地底湖にかかる橋があった所の手前に当たる場所だ。その先には、かつて最もルーアが取り乱した場所、ルーアの父オルテガが亡くなった場所がある。
 しかし、現在では橋はおろか地底湖すらも見えない。地底湖に続く道は瓦礫の山に完全に塞がれているのだ。
 瓦礫の山を手で押して、ピクリとも動かないのを確かめてから、
「そうね……仕方がないわ。ここでいいでしょう。ちょっと下がってて」
 そう言うと通路の中央辺りに立ち、賢者の杖を頭上に掲げ、低く静かに呪文を唱え始める。
 呪文が完成するに従いマーの身体から、淡い紫色の魔力を帯びた光が広がる。魔力光は瓦礫を押し上げ、狭い通路にドーム状の部屋を作り上げた。最後に彼女がトンっと杖で地面を叩くと、ドームの内側がピシッと薄い幕のようなもので覆われる感じがした。仕上げに、自分の周りに直径3メートルほどの円を描く。
「結界を張ったわ。これで崩れることは無いでしょ。さあ、取り掛かかるわよ」
 三人は手分けして、床に複雑な文様を書いていく。ドーム部分の床いっぱいに文様を書き終えると、三人は中央の円を囲んで正三角形になるように立った。
「いい?今から『裂け目』を創るわよ。大魔王ゾーマが造ったようなものを……」
「ゾーマが……」
「ええ、ゾーマが出来たのだもの、あいつを倒したわたしたちに、出来ないはずが無いわ」
「……そうだね。で、どうやるんだい?」
「簡単よ……思ってたよりね。
さあ、始めましょう!」



 ルーアは、ベッドの上で横になっていた。
 あまりに疲れて、起き上がるのも面倒くさかった。
 昨日、カンダタが見せてくれたものは、どれも本当に素晴らしかった。綺麗な透き通ったピンク色の宝石。七色に変わる糸で織られたドレス。純白の真珠で作られた繊細なティアラ。繊細なレースがふんだんに使われたドレス……かわいくて、綺麗なものたちはどれもルーアの心を一時、望郷の念から遠ざけた。
 だから昨日の夜は、極短時間ではあったが久しぶりによく眠れたのだ。
 しかし、仲間たちが、姿を見せなかった。デルコンダルには、どこにもいなかったのだ。
 カンダタは、自分の用事を足しに行って来てくれているのだと言っていた。
 一人でいると、否応なしに、故郷のことを考えてしまう。
 残してきた家族、友人……懐かしく、愛しい人々----
 それに……なぜか、どうしても帰らなければならないような気がする。
 何か、大切なものを忘れてきてしまったような……そんな気がするのだ。
 しかし、それが何なのかは、ルーアには思い当たることが無かった。
 寝返りを打って、仰向けになり天井を見上げる。と、

  コン コン

 ノックの音がした。
「ルーアちゃん!入るよ〜!」
 アサナがニコニコ笑顔で駆け込んできた。
「すぐに旅立つ用意をして!マーちゃんがすっごいもの見つけたんだから!」
「……?」
「いいから、いいから♪さ、お風呂にでも入って目を覚ましてきなよ!」
 言われ、背を押されるがままに、浴室へと赴く。何が何だかわからないけれど、とりあえず軽く湯浴みをしたルーアが部屋に戻ると、すでにアサナの手によって、旅の準備は整っていた。
「さ、カンダタに挨拶して、出かけよう!」
 アサナはルーアの手を引き、部屋を出て行った。


 三人に連れられて、ルーアがたどり着いた所は、旧ゾーマ城の奥、あのドーム型にした部屋だった。
 部屋の中央には、ちょうどあの円が描かれていた大きさと同じ大きさの穴が空いており、その穴から色とりどりに変化する光の渦が湧いていた。古代の神秘の魔法、旅の扉だ。しかし、それは通常の青を基調とした光の変化を見せる物とは異なり、赤を基調にした光を放っていた。
「??」
 ルーアは不思議そうに、三人を見た。以前にはこんなもの無かったはずだ。
 マーが代表して少し前に出て、話し始める。
「コホン!えー、これはね……なんと!元の世界へつながっている旅の扉なのよ!」
「!?」
 ルーアは突然のことに、三人を交互に見ながら目を大きく開いている。
「驚くのも無理ないよ〜。アサナたちも、ビックリしたもん。
 でもね、本当なんだよ!昨日、入ってみたの。そうしたら……ジパングの火山に出たんだよ!」
「ビックリしたかい?……ルーア?どうした!?」
 ルーアの頬に静かに、涙が流れ落ちていた。
 三人は、驚き顔を見合わせる。
 ひょっとして、ばれたのだろうか……わたしたちのしたことが……そんな不安が三人の胸をよぎったとき、
「わ……私たち……、帰……れるの……?」
 ルーアが言った。
 小さな、か細い、かすれた声で…
「ええ、そうよ…!わたしたち帰れるのよ、アリアハンに!!」
「嬉しいね!!ルーアちゃん!」
「さ、行こう!あたいたちの故郷へ!!」
 口々に言う三人の瞳からも、涙が流れていた。
 四人は手を繋ぎ、ルーアを先頭に、旅の扉へと飛び込んだ。
 世界が回る。崩れる。落ちる。歪む……体が、バラバラになる!そんな、不思議な不快な一瞬が過ぎると、視界が反転した。七色の光が黒へ白へと変わったかと思うと、4人は、背中から床に叩きつけられたのだった。
 きつく閉じた瞳を開けると、あたり一面煮えたぎる溶岩の海----
 そこは、ジパングの火山洞窟。かつて、ルーアたちがヤマタノオロチと戦った洞窟だった。
 心臓の鼓動が徐々に速くなっていくのが分かる。
 はやる気持ちを抑えながら、ルーアは出口へと歩き始めた。
 始めはゆっくりと、最後は駆け足で一気に階段を駆け上ると……!!
 懐かしい世界の景色が、優しくルーアを包み込んでいるのだった----


 ジパングを後にした4人は、ルーラの呪文でアリアハンヘと帰った。
 懐かしく恋しい故郷へと、やっと、たどり着いたのだ。
 明日、お城の跳ね橋前で会う約束をし、4人は別れた。
 それぞれの家路につくために----



プロローグ  END
(2011/5/13 改稿)